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『行動』






 ウェシナ・サートラルでの小さな悪魔(ゼフィリア)との面接より3日、その早朝。

 清掃は行き届いているものの堆積する年月までは払拭出来ないアパートメントの一室。

 その部屋の奥、内装と同じように多少くたびれた感のあるベッドに眠る男性がカーテンの隙間から洩れる陽光の眩しさに目を覚ました。

「…………なんとか、起きれたか」

 事務方の職種では得る事の難しいであろう細身ながらも筋肉質な体格をした彼は、世間一般の基準に当てはめると早過ぎる目覚めにあくびを噛み殺す。

 その堀の深い顔立ちに収まった気怠な瞳は、寝起きである事を差し引いても怠け者の様な胡散臭さを漂わせていた。

 そんな眠気眼を擦りながらベッドから抜け出した彼、ナヴァル・トーラは漸く見慣れ始めた借家を見渡しながら自分の状況を思い返す。

 北エウロペ大陸の中央部、ウェシナ・サートラルでの面接を終えたナヴァルはその明朝には北西部のウェシナ・ニザム領オルリア市へと戻されていた。

 そして、“頼み事”の準備が整うまで待機していて欲しいという話を受けたナヴァルは、その間にTYPHON社亡き後のオルリア市の情勢を自主的に調査していた。

『TYPHON社の行動の結果はどうなったのだろうか?』

『自分達の行動は、果たしてどんな状態を生み出したのだろうか?』

 それ等は感傷でしかない行為であったが、ナヴァルはその確認によって自分の考えが間違っていたかもしれない事を理解し、その先の事を考えようとした矢先に“断層(ザクルス)”からの指示が来た。

 ――今の時間は……1時間前。ちとギリギリか。

 ナヴァルが借りているこの宿はオルリア市内にあるのだが、TYPHON社崩壊に伴って同社関連施設への交通の便が悪くなった事により、そっち方面に向かうとなると時間の融通は殆ど効かなくなってしまっていた。

 詰まる所、昨晩受け取った様な早朝の出頭命令となるとなかなかタイトなスケジュールを組む羽目になる。

 ちなみに“ザクルス”から使用許可が降りているTYPHON社の宿泊施設の利用を受け入れれば時間的にも金銭的にも更なる余裕が出来るのは確かであったが、ナヴァルは今の自分の意思を示すようにソレを固辞していた。

 ――……まぁ、たぶん全部見透かされているんだろうがな。

 そんな他所事を考えながら支度を整えたナヴァルは、身支度の最後にサートラルで返却された私物――“彼女の預り物”が入ったケース――を頑丈な革製の包みに入れ、ソレを懐に仕舞うと今日も日常を続けるであろうオルリア市内へと足を踏み出す。

 そうして見上げた空の色、周囲の町並みは――昨日や“それ以前”の日常と全く変わりは無かった。

 TYPHON鎮圧戦の後にオルリア市で変わった事があったとすれば、同社がやっていた事をウェシナ・ファルストが行うようになった事と治安組織が同軍の息が掛かった連中になった事。ただそれだけだった。

 重税がかかる訳でも圧政が敷かれる訳でもなく、トップと配下が変わっただけでTYPHON社が無くなってもオルリア市の風景は何も変わらなかった。

「……寧ろ、良くなっているのかもしれないな」

 所詮は一個人の所有物である企業ではなく、国家(ウェシナ)と言う絶対的な強者の施策によって環境基準が厳格に守られるようになった。

 そして、その厳格な規制に加えてウェシナ・サートラルの技術も入って来た事で、オルリア市の空は徐々に透明になりつつある。

 ――……詮無い話だ。

 『決起』など起こさずに最初から全てをウェシナに委ねていれば、無用な血も流れずTYPHON社の高度な生産施設も破壊されなかったのではないかとナヴァルは思う。

 だが、TYPHON社が行動を起こし、ウェシナの喉元に恐怖を滲ませたからこそウェシナも本気での統治に動き出したとも考える事も出来る。

 過去の結果を変える事は出来ないのと同じように、世の中の流れをその中に居る人間が考えようとしても、無数の答えがあるソコから正解を得るなんて事は不可能に近い。

 ――TYPHON社の行動が正しかったかどうかを決めるのは未来の人間、か。

 ナヴァルが最近感じるようになったその思いは時間の経過による決意の薄れ、ただの錯覚なのかもしれない。

 だが、ゼフィリアの言う通りこの結末の是非はナヴァル一人で判断していい事柄では無いと考えられるようになっていた。

「…………人間は、しぶといんだな」

 間違いを直視する事から逃げる事も出来る、願いを失っても生きていられる。

 そんな夢も希望も無い無情を抱えたまま、ナヴァルは『旧情報事務処理支社』行きのバスに乗り込んだ。





 TYPHON社に勤めていた時と変わらない内燃機関駆動のバスに揺られる事30分。

 ナヴァルは“ザクルス”に命じられた場所に入る為、その場所の正面ゲート前に降り立っていた。

 つい数週間前までTYPHON社の情報事務処理支社だったそこは、今では広大な施設全体を覆う鉄条網と警備室付きのゲートを備えたいっぱしの軍事施設と化していた。

 AZ−07(フルンティング)の爆撃によってTYPHON社の本社施設は跡形もなく吹き飛んでしまったが、ウェシナ軍は此処のように生き残った施設群を拠点として同社跡地や周辺の調査と治安維持を実施しているとナヴァルは聞いていた。

 そして、かつては情報事務処理支社だったこの場所も、今では仮設指揮所と兼用する形で実働部隊の生き残りを収監する捕虜収容所として運用されているとの事だった。

 ――…………行くか。

 “ザクルス”の使いとの待ち合わせ場所はこのゲートの先にあり、ナヴァルは小さな決意の下、その境界の中へと踏み込む。

「身分証か通行証の提示を、よろしいでしょうか?」

 その瞬間、ゲートの両脇に立っていた歩哨の片割れがそう言ってナヴァルを引き留める。

 ナヴァルがバスを降りた段階から彼に目を付けていた歩哨の対応は至極当然の行動で、“ザクルス”の指示通り『ウェシナ・サートラル自衛軍、ナヴァル・トーラ大尉』とナヴァルが言えばすんなりと通れる筈だった。

「……実働部隊、ナヴァル・トーラ三等官だ」

 しかし、ナヴァルはソレが拙い単語と判った上で昔の立場で名乗りを上げる。

 ナヴァルが名乗ったソレはウェシナ軍がここに駐留する事になった理由であり、ここを守る彼等が今最も警戒しなくてはならない者達である事を示す名前であった。

「……は?」

 だが、彼を引き止めた歩哨の反応は鈍い。

「――っ」

 ウェシナ軍の人材不足はこれ程なのかと自分達を打倒した組織の実情にナヴァルは落胆したものの、もう一人の反応は早かった。

「警備の真正面に一人で現れるとはいい度胸だな、テロリストッ!」

「……づっ」

 そうして、怒声と共に淀みも迷いも無い訓練された動きで組み伏せられたナヴァルは、そのまま容赦のない重圧によってぐうの音もなく地面に押し付けられ、拘束される。

「俺はこのままこいつを拘束する、お前は伍長を呼べ!」

「判った!」

 ――……軍隊なら、そこは『了解』が妥当じゃないのか?

 どうにも反応がちぐはぐな方の歩哨にナヴァルは内心でツッコミを入れるが、不完全に組み伏せられている所為か息が苦しくなってきた。

 押さえられた肩周りの痛みと息苦しさから『傍から見ればみみっちい意地とはいえ、やっぱりバカな事をしたか』と、ナヴァルが後悔し始めた頃、視界の端に見慣れたドレスの裾が見え始める。

「スカイクラウ04管理ユニット、兼、ウェシナ・サートラル自衛軍中佐相当官、フィーエルが応対します。ペーター一等兵。今、貴方々が組み伏せている男性は本施設の関係者です、開放しなさい」

 そして、見覚えのあるソレが待ち合わせをしていた“ザクルス”の使いの足元だとナヴァルが理解した時、歩哨の横合いからの落ち着いた女性の声が届く。

「……は?」

 ブロント平地の硬い大地にナヴァルを押さえ付けていた歩哨、ペーター一等兵と呼ばれた彼はフィーエルと名乗った女性の言葉に顔を上げ、その声の主を確認したのと同時にナヴァルを押さえていた力が弱まる。

「ペーター一等兵――ここへの配置は本日が初めてでしたか。通行許可を得ている人員リストの資料確認は行いましたか?」

 フィーエルから重ねられる質問に覚えがあるのか、渦中の一等兵は大慌てでナヴァルを締め押さえていた状態から姿勢を正し、薄らと脂汗を滲ませながら返答を考え始める。

 将校相当官という真っ当な士官では無いとは言え、下士官でもない一等兵からすれば中佐相当官など雲の上の存在である。

 そんな存在に自分の不手際を指摘されるという考えたくもない状況に陥ってしまった一等兵による拘束を解かれたナヴァルは、気の毒な事をしたなと思いつつも土埃を払って立ち上がる。

 ――しかし……まさか、ご本人様がお出ましとはな。

「ナヴァル・トーラ。そのような情報はありませんでしたが――貴方はマゾヒストなのですか?」

 その予想外過ぎる“ザクルス”の使いにナヴァルが呆れたような感想を思う中、当のフィーエルからはそんな的外れな質問を向けてくる。

 太陽の光を綺麗に弾く緑色の長い髪に、全てを見透かす硝子の様な赤い瞳。

 そして、レッドラストからの熱波が支配するこの地にあっても汗一つ滲ませず重厚な青いドレスを着こなす長身。

 そんな常識外れの塊である事に加え、無表情ではあるが整った顔形と折り重なった布越しにも判る程のメリハリの付いた身体のラインがその異質な魅力を更に引き立たせており、一度目に留めれば嫌でも忘れられないような女性。

 それが管理ユニットである彼女達の特徴であり、フィーエルと名乗った目の前の存在はパンドラと瓜二つの容姿をしていた。

 だが――。

 ――……こんなにも、判るものなんだな。

 ナヴァルと共に在ったパンドラと、目の前に居るフィーエルとの外見上の違いは身に付けている装飾品の違い――胸元を飾るのがあのネックレスか大玉ルビーの装飾か――しかないのだが、ナヴァルは直感的に違う存在であると判断出来ていた。

「…………お前さんには、判らないだろうさ」

 そして、目の前に居る“彼女達”の一人を見据えながらナヴァルはフィーエルからの質問をはぐらかす。

 例え敗北し、恭順しようとも抗ったという誇りを忘れない。

 歯向かう心算はもうないが、それでもまだ彼等の駒であると名乗るつもりもない。

 それらは小さな意地であり、いずれ曲げなくてはならない事であるのはナヴァルにも判ってはいる。

 だが、それが拙い事だと判っていても今のナヴァルにソレを変える事は出来なかった。

「――ペーター一等兵、アダート伍長はどちらに?」

「はっ! 現在仮設指揮所で引継ぎ中であります!」

「そうですか。三等官の呼称はTYPHON社潜入時の役職名となり、現在のナヴァル・トーラはウェシナ・サートラル自衛軍に帰属する大尉であり、本施設の入構許可を有しています」

 ナヴァルの対応をフィーエルがどう判断したのかは判らないし、命懸けではあったものの独り善がりな行動で意図が伝わる事が少ない事をナヴァルも理解している。

 そして、そんな感情を当てられた当のフィーエルもナヴァルの行動を静かに無視する様に自分の職務を果たしており、袖中から掌大の電子媒体を取り出し、ナヴァルの新しいパーソナルを表示させながら入構手続きを開始する。

「先程も述べた様に、通行許可を得ている人員リストにも記載があった筈。ナヴァル大尉が不明確な行動を取った事は事実ですが、資料の確認を怠らないように」

 最後にそう言って入構手続きを完了させたフィーエルは、ナヴァルに目配せを一つ向けてから仮設指揮所の方へと歩き始める。

「すまなかったな。……冗談が過ぎた」

 そして、この場に残されたナヴァルは茫然と残された歩哨の肩を叩きながら詫びを入れ、もう随分先に進んでしまっているフィーエルの後を追った。




 正面ゲートを無事(?)に抜けたナヴァルとフィーエルの最初の目的地は、仮設指揮所の地下。

「ナヴァル、お前……最初から裏切っていた訳じゃないよな?」

 地下倉庫だったその場所に設けられた仮設の捕虜収容所に足を踏み入れたナヴァルは、目的の女性と目が合った瞬間にそんな第一声を受けていた。

「……ああ。こっち側に立ったのは数日前の事だ。――信じて貰えるかは判らないが」

 ナヴァルを疑う声の主、青い瞳とセミショートの焦げ茶髪が特徴的なその女性は鉄格子の先に居た。

 TYPHON社実働部隊の同僚にして同社の主力ゾイド選定で鎬を削りあったテストパイロット、インリオール・ユニオン七等官。

 虜囚に落ちても豹の様に鋭くも整った美しさと獰猛な気概は健在であり、今の横縞模様の囚人服という格好は頂けないが、ソレを除いて町中に放り込めば道行く男性の目を引き留めずにはいられないであろう鋭い色香がそこに在った。

 とは言え、灰汁(あく)も濃いがその分強かなインリオールであっても獄中生活は堪えたらしく、最後に会った時から多少痩せた様に見える。

 だが、それでもその目の光は最後に会った時と変わりが無く――幸いな事に、何とか間に合ったらしい。

「ま、パンドラを人質に取られたりしたら有り得る話だ。……とりあえず、聞いてはおくよ」

 虜囚ともなれば少しは従順になるのが世の常だが、インリオールはそんなモノで自分を変える事は出来ないと示すような態度を通し、不遜な仕草で収容所の壁に寄り掛かる。

「――で、後ろにいるソイツはなんだ?」

 そして、話を聞く為か視線の険を僅かに緩めたインリオールは、最初にナヴァルの斜め後ろに控えるフィーエルを一瞥する。

「……判るのか? ここに居るのがパンドラじゃないって」

「判るさ。……ソイツはお前の事を見ていない」

 “ラオ爺の師弟の勘を舐めるな”。

 インリオールの視線にはそんな思いが仕込まれているように見て取れ、ナヴァルが持つ“感覚”とは違う鋭さでフィーエルの事を識別したインリオールは、彼女にとっては未知の存在である別の管理ユニットを嘗(な)める様に見据える。

「ファーストコンタクトは成功したと判断します。ナヴァル・トーラ、投影を実行してもよろしいですか?」

「ああ、頼む」

 その敵対的な視線をどう受け取ればそんな言葉が出てくるのかと思わなくもないが、インリオールが現状での最大限の譲歩を示したのは確かであり、ナヴァルの同意を得たフィーエルはドレスの裾回しから小さな投影機を取り出す。

「…………器用な奴」

 そうしてドレスの裾の中から機材を出したフィーエルに対し、インリオールは素直な感想を洩らす。

 だが、フィーエルはそんな言葉に止まる事なく作業を続け、収容所の壁に身を預けるインリールの横、鉄格子の先にある壁に向けて光を投影する。

 事前の打ち合わせでは表示される映像は四大国の統治の外、西エウロペの西南部にあるローナ山脈の麓にあると言う同大陸におけるTYPHON社最大の隠蔽拠点を映すという話だった。

 “ザクルス”は今のTYPHON社残党の全てを把握しているものの中小拠点ではインリオールが知らない可能性もある事から、映像の場所は部外者が見ただけでは“ソコに在る”事すらも判り難い大規模な隠蔽拠点が選ばれた。

 当然、ソコに行った事の無いナヴァルではその映像から隠蔽拠点の場所を見つける事は出来なかったが、行った事のあるインリールならこれでも判る筈だった。

「何を見せる心算なんだか……っ、ちょっと待て、なんでこの場所がここに――っ!?」

 その予想通り、最初は胡散臭い目でソレを眺めていたインリオールであったが、ソコが自分自身も所属した事のある隠蔽拠点であると判ると動揺からか上ずった声を上げる。

 そして、その動揺した声が収まるよりも前に、映像の発信元であるAZ−07が横を向いた事でその両機がプロジェクターに映る。

「…………なるほどね、他の生き残り全員も人質って訳」

 一見粗暴に見えるがその実とても聡明な女性であるインリオールは、今の映像だけで撮影者の意図を理解してくれる。

 一つはこれ程のカモフラージュがされている隠蔽拠点の場所すら既に割れている事。つまり、生き残った全ての隠蔽拠点の所在が探知されている可能性がある事。

 もう一つは最後に映ったAZ−07の武装と状況。つまりは戦略兵器を積んた敵機がこれ程近くにまで接近している事に隠蔽拠点の人員が気付いていない事から、この場所の人員が風前の灯火とも言える状況にある事。

 それらを統合すれば、生き残りの命運は既に“ザクルス”の掌の上にあり、自分が下手な対応を取れば彼等は消される可能性があるという事をインリオールは察してくれた。

「で、お前にこんな仲介をさせて、私にそんな状態を見せて――そこのソイツは何をしたいんだ?」

「“ザクルス”の裏に居るリバイン・アルバ……と言うか、ここに居るフィーエルの主に下れば、TYPHON社と同じかそれ以上の待遇で引き抜いてくれるって話だな」

「何を言いだすかと思えば……で、お前さんはパンドラ取られてもう下った口か?」

「そうなるな。……これから暫くは実働部隊の元同僚の説得に従事する事になりそうだが」

 提案の内容も併せてなのだろうが、ナヴァルがこれから成そうとしている事に対してインリオールは驚きと呆れとを混ぜた様な顔で応える。

「…………高い確率で会社の生き残りに殺されるぞ、お前」

「……まぁ、理解はしている」

 そこそこに重要な立場にあった者がのうのうと生き、『決起』に全てを掛けていた者達から見れば裏切りとも思える引き抜きを仕向けて回っている。

 そして、手当たり次第に唆(そそのか)して回っている以上ナヴァルの行動は隠し様がなく、インリオールの言う危険性はナヴァルも十分理解している

 だが、この結末の一因を命じた一人として、ソレを実行したパンドラの罪を薄める為の贖罪は必ず行わなければならないとナヴァルは考えていた。

 そして、ナヴァルはその独り善がりを成功させる為に『引き抜ける人材に利用価値がある』と言って対応を始めようとしたゼフィリアを引き留めており、もしもナヴァルが居なくなればゼフィリアは容赦なく全てを闇に葬るだろう。

「それでも……死ぬ訳にもいかないし、説得を止める訳にもいかないんだ」

 ゼフィリアに聞いた彼女の対応が“根絶”である事から、ナヴァルが何もせずに様子見に走れば全ての禍根は抹消される。

 つまり、ナヴァルは何もしなければ“見捨てた苦難”に耐えるだけで全ての恩讐を清算出来た事から、妥当な行動を取るならばインリオールのように本当に親しい縁者のみを助けてくれるように動くのが常道だったのだろう。

 だが、生命の枠の中に居るナヴァルはソレで良くても、『決起』から今に至るまでの元凶の一部であるパンドラは何も無ければ人の世の終わりまで在り続けるような存在だ。

 故に、ナヴァルが何もしない事を選べば、パンドラは自分と関わった者達が虐殺されたという結果を未来永劫背負う事になる。

 ――……ゼフィリア達がグリフティフォンと管理ユニットを修繕していると言っても、パンドラがそこに残っていると決まった訳じゃないけどな。

 パンドラがもう居ないのであれば、ナヴァルのしている事は自分が泥を被るだけの徒労であり『何を馬鹿な事を』と考えるのが正しい判断なのだろう。

 だが、それでもナヴァルはグリフティフォンに纏わるモノに自分達が原因の怨念を背負わせたくなかった

「……判ったよ。どうせ私は雇われだし、このまま意地を張ってテロリストとして殺されるならまだしも、トポリ以外の刑務所に収監されるのは流石に嫌だからなぁ」

「ああ。……この提案を聞いた時、真っ先に話を通したんだが――間に合って良かった」

 少し話が脱線するが、ウェシナの司法は被害者救済を第一としており、裁判で有罪となれば即金で賠償を要求される。

 簡単に訳せば刑期以外にも必ず掛かる賠償を払えなければ人権を売り飛ばされ、命も保障されない奴隷以下の存在に落とされると言えば判りやすいだろう。

 ソレは他国や人権屋に拝金と後ろ指を指されるウェシナの暗部だが、普通に生活しているのであれば何があっても資産と権利、万が一の賠償が保障され、個々人はそれぞれの目的と経済活動に注力する事が出来るとも言える。

 ――嫌な話だが、女性――それも美人ともあれば、どんな扱いをされるか判らないからな……。

 パンドラの教育によって理論過多となったナヴァルの考え方からすると、ウェシナの司法体制も悪いと思えなくなっていた。

 しかし、いざ自分達がその渦中に陥ると中々に厳しいモノがあり、その体制に真正面から抗わなくてはならなくなったナヴァルとしては昔の自分が妥当とした判断を覆したくなって来ているのもまた事実であった。

「ふん――あんた等に従うよ、どっかの管理ユニットさん」

 ナヴァルがそんな横道を考えている内にインリオールはフィーエルにも所属変えを承諾する。

「交渉が纏まったと判断します。――インリオール・ユニオン、詳細な交渉は後日に」

「ああ、楽しみに待ってるよ堅物」

 そして、話が纏まったと判断したフィーエルがそんな約束を決め、ナヴァルは本日最初の折衝を終える。

「…………あと二人、か」

 此処での目的を終えたフィーエルがインリオールの監房前からの退出手続きを取る中、ナヴァルの口はその重い心境を洩らす。

 ナヴァルが言葉にしたその人数は取り急ぎ折衝が必要な元実働部隊員の事であり、名前しか知らない様な彼等にも同じ様な選択を迫らなければならないと思うと、彼はなんとも憂鬱な気分に苛まれた。




 そうして喫緊の用事を済ませたナヴァルとフィーエルは、仮設指揮所を後にした。

 ナヴァルとしては収監施設での折衝を済ませた後、直ぐにでも仮設指揮所を発ってスカイクラウ21(グリフティフォン)に向かいたいと思っていたのだが――。

「一時間の休憩は規定によって保証されているナヴァル・トーラの権利であり、平時に置ける当機の監督下でこれを覆される事は、当機の管理能力を問われる問題となります」

 そう言ってナヴァルを押し留めたフィーエルの意向によってナヴァルは昼休みと称した休憩を強制される事となり、食堂に放り込まれたナヴァルは普段の彼が考えもしない程にゆったりとした昼食を取る事となった。

 ――そういえば……パンドラも同じ様な事をしていた気がするな。

 その時間を失った今にして思えば、昔の自分を殴りに行きたいレベルの贅沢だが――当時のナヴァルも昼に一時間も掛ける事が理解出来ず、それ以外にも幾つもの規定を推奨してきたパンドラの事を『面倒くさい』と避けていた。

 ――…………お前の言う事はいつも正しかったな。

 ナヴァルがそんな思い出に浸るだけの余裕がある昼食を終え、流石に次は移動だろうと彼は高を括っていたが、フィーエルの指示にはまだ続きがあった。

「顔合わせが砂埃まみれでは不憫であると思考。入浴を実施してください」

 食器の片づけを終えてフィーエルを待っていたナヴァルに対し、フィーエルはこれまた意図不明な命令と共に二種類の着替えを差し出してきた。

 一つは灰色。TYPHON社を潰し、自分達に成り代わってオルリア市を統治しているウェシナの力の象徴。

 もう一つは白色。あの小さな悪魔(ゼフィリア)と同じ様式の制服であり、ウェシナの裏で暗躍する血と黒ずみを覆い隠す色。

「……風呂入った後に元の服を着るのは?」

「決断出来ぬ者、自分を守れぬ者にスカイクラウの系列艦を扱う事は出来ないと指摘します」

 選択を強要するようなその行動からフィーエルの意図を理解したナヴァルであったが、それでも尚昔に拘ろうとするナヴァルをフィーエルはそう言って切り捨てる。

「――――」

 フィーエルの言葉は選択を迫るだけのモノであったが、その表情を見れば『先程のゲートのような意地を張らず、組織の庇護を受けてください』という配慮が含まれており、その好意にナヴァルは沈黙する。

 ――……まぁ、パンドラとの付き合いが無かったら……ソレも判らなかっただろうが。

 害意に抵抗するのは簡単だが、好意に抗い続ける事は難しい。

 そうして退路を塞がれたナヴァルは、僅かな黙考の後ウェシナの士官服ではなく“ザクルス”の白い制服を手に取った。

 そんな出来事の後、漸く仮設指揮所を出た二人はダチョウ型のコマンドゾイド、ロードスキッパーに騎乗し、その足は無残な姿を晒しているスカイクラウ21へと向けられた。

「……折ったんだな、貝殻」

 TYPHON鎮圧戦が終わった直後、スカイクラウ21は確かに原型を留めていた。

 しかし、今のその巨体は6本の節足を持つ本体と長大な殻とに分割され、幾つものケーブルで繋げられている状態で平原に横たわっていた。

「スカイクラウシリーズの建造ドッグは既に存在せず、また移動も困難である事から、本体部と外殻部に分割しての修復計画が決定しております」

「――本当に、直すんだな……」

 ゼフィリアがナヴァルに提示したもう一つの仕事。

 それは『スカイクラウ21の“所有者”になって欲しい』と言う、どう考えても冗談としか思えない内容だった。

 改めて言うが、どう考えても疑念や戸惑いが先に付く常軌を逸した依頼。

 だが、その冗談としか思えない提案は『“スカイクラウ21(グリフティフォオン)”に戻れれば、パンドラにまた会う為の手掛かりを掴む事が出来るかも知れない』と言う希望をナヴァルに与えた。

 そして、その希望が願いを失ったナヴァルの燃えカスに再び火を灯す事になり、その熱は彼を再び立ち上がらせる原動力となっていた。

「現状では新造する事の出来ない機材、省力化要塞としての運用も可能なスカイクラウシリーズはとても貴重な戦力であるとの事」

「なるほどねぇ……」

 あの巨大なゾイドを修繕する為の労力を捻出する意味は、今の返答で納得は出来た。

「……だが、そんな貴重な物をどうして俺なんかに預ける? あれだけ強大な力を持った個人がトップに居る組織なら、その才能に惹かれて集まる同類も多い筈だろう?」

 とは言え、ソレをつい先日まで敵対していた者に預けると言う暴挙の答えまでは得られず、ナヴァルは再び質問を投げかける。

「現状での最適任者がナヴァル・トーラであると、当機の所有者代理が判断した結果です」

 しかし、その真っ当な問い掛けに対し、知りうる全ての事実に答える筈の管理ユニットは答えのない言葉を返してくる。

 ――……こいつ自身は、納得していないって事か。

 その言動と仕草、パンドラと同じ様な癖からナヴァルはフィーエルがそれ以上の答えを持っていない事を察し、答えが得られないその問いを自分の中に仕舞い込む。

「……酷いな」

 そして、そんなやり取りを交わしている間にもロードスキッパーはスカイクラウ21へと確実に近づいており、接近した事によって判ってきたその惨状にナヴァルの口は自然とそんな言葉を洩らす。

 遠目には判らなかったものの近くで見上げてみれば表層の殆どは酷く焼かれており、今の巨体はかつての優美さを全く感じさせない程の粗悪なオブジェと化していた。

 ――外装の副砲群は壊滅か……。パンドラは最後まで衛星反射砲を照射出来ると言っていたが、アレも相当な無茶の上だったんだろうな。

「艦内への入出は乗降ハッチを強制開放した物となります」

 視覚的な惨状からナヴァルは今必要のない“あの瞬間”を思うが、フィーエルの言葉によってその視線は下へと向かい、つい数週間前まで何度も使っていた出入り口をとらえる。

 開閉可能だったあの乗降ハッチは今ではただの開口部と化しており、閉鎖して警戒出来なくなった代わりとして今の自分と同じ制服を着た歩哨達が周囲の警戒に当たっていた。

 そうして、その近くに寄ってからロードスキッパーを降りたナヴァルは礼儀としてフィーエルの下乗を補助し、彼等をここまで運んだコマンドゾイドの手綱を引きながら周囲を見やる。

 ――流石に……かなり厳重だな。

 まず、立ち居振る舞いが先程のウェシナ・ファルストの歩哨とは比べ物にならい程に確りしており、各人員の配置も相互連携が巧く効くようになっているのが見て取れる。

 そして、ナヴァルの“感覚”では兵士の人数は判らないものの、認識出来るコマンドゾイドの数が20体を越えている事からその厳重さは十分に伝わって来ていた。

「トーマス・アルフェ中尉。スカイクラウ04管理ユニット、フィーエル及びナヴァル・トーラ大尉、通過致します」

「“ザクルス”本部から話は届いています。――貴女が付いていれば杞憂かとは思いますが、くれぐれも警戒を怠らないでください」

 ――……ま、こっちの反応の方が普通だな。

 先程のフィーエルの不信はナヴァル能力に関する物のようだったが、横を通り過ぎた彼等の目はナヴァルの存在自体を信じていない目だった。

「トーマス・アルフェ中尉」

「――? なんでしょうか?」

「ゼフィリア様の決定は、間違いにはなりません。――その決定を疑う事はお止め下さい」

 管理ユニット特有の妙な言い回しの所為か、話を振られた中尉は一瞬ハトが豆鉄砲を食らったかのような表情を示す。

「………………」

 そして、渦中の中尉は僅かな時間を置いた後に漸くフィーエルの言葉の意味を理解した様だったが、フィーエルの言ったその偏屈な思考への対応に困り、沈黙してしまう。

 ――…………こいつも大概に面倒な奴だな。

 その状況と黙した中尉を置いてきぼりにしてスカイクラウ21に入るフィーエルを眺めながら、ナヴァルはそんな所見を思う。

『自分は納得していないが、自分以外の存在が自身の所有者に意見する事は容認できない』

 フィーエルの言動から察するその思考は所有者を最重視する管理ユニットらしい行動と言えるが、その在り方に一抹の不安を覚えた事のあるナヴァルはゼフィリアと話をした方がいいのかもしれないという無謀な事を思う。

 ――あぁ……そういえば――。

 『彼女達の開発工廠に赴いた時に似たような事があったな』と、ナヴァルは今でも考えると苦しくなる思い出に目を細めながら、乗降ハッチのタラップに手を掛けた。




「……中は無事だったんだな」

 フィーエルに先導される形でスカイクラウ21の内部を進んでいたナヴァルは、変わる事の無い周囲の様式にそんな呟きを洩らす。

 数週間ぶりに踏み入れたスカイクラウ21の内部は最後に見た姿と殆ど変わりなく、周囲の艦内通路だけを見るならあの決戦が嘘だったかのような錯覚を覚える程だった。

「対象が本機であったとすれば、十分に破壊出来る量のクラスAAA弾頭を設定しましたが、新世代型の強度は想定を上回っており――結果としては幸いでした」

「4番艦と21番艦だからな。10隻以上も間が空いていれば流石に性能にも差が出るだろうよ」

 ナヴァルが思う艦内通路の所見にフィーエルは愚痴の様な経緯を洩らし、フィーエルのソレを心地良いと思ってしまったナヴァルはそんな高慢を思わず口走ってしまう。

「ナヴァル・トーラ、その思考には誤りがあります」

 ナヴァルの言葉はパンドラが優れている事を証明したいが故に図らずして出てしまった感情だったが、フィーエルはその傲慢を間髪置かずに否定する。

「建造順で表せば本機は14番目に建造された艦であり、スカイクラウ21は15番目に建造された艦となります」

「……? それじゃあ番号が――」

「本機は旗艦型の4番艦であり、スカイクラウ21は構成艦型の11番艦となります」

 ――……役割毎に型番を変えていた訳か。

 フィーエルの説明によってナヴァルの中にあった『21』と言う膨大な数字の疑問に得心が行ったのと同時に、こんな物を15隻も建造出来た国家や組織、“古代ゾイド人”と呼ばれる彼等をどうすれば滅ぼせるのだろうかと言う好奇心が沸いた。

「スカイクラウ21は本機でテストした実験部材を統合・拡張した設計を施しているとの情報を入手しましたが――稼働状態で現存しているのが本機を含めた2隻のみであった事を併せて思考すると、かつての改装方針は正しい方針であったと推察」

 しかし、そんなナヴァルの納得や好奇心は、フィーエルが続けた彼女達の境遇によって一気に冷え固まる。

 フィーエルからすれば単に自分の本機とスカイクラウ21の生存性を誇り、過大な攻撃にも耐えたスカイクラウ21に沿った改造を自らにも実施しようという予定を話しているに過ぎないのだろう。

 だが、ソレは――。

「……一つしか離れていない、たった二人の姉妹で殺しあった訳か」

 人の身であるナヴァルから見れば、それはとても永い間生き別れていた姉妹が言葉を交わす事も無く刃を交えていたと言う悲劇でしかない現実を伝えるものだった。

「兵器及び軍隊に、意思及び感情はありません。ソレらは所有者の意思を反映させるだけの存在であり、ソレらが交戦する中に好悪の感情は存在しません」

 だが、ナヴァルのそんな感情に対し、フィーエルは無慈悲な理想で返してくる。

 それが口先だけの言葉で終わるならば、誰しも言う唯の綺麗事で済む。

 しかし、彼女達は自らの言葉を偽らない管理ユニットであり、よく論理破綻に追い込んで遊んでいたナヴァルが言える義理ではないが、その高潔さは“古代ゾイド人”の残した正しさの輝きだと彼は思っていた。

「…………そうだな、それが正し――ん?」

 そんな憧れにも似た眩しさにナヴァルが目を逸らすと、彼はその最中に小さな違和感を覚える。

 その違和感の出元は、恐らく“感覚”から。

 そして、その違和感を例えるなら微糖のコーヒーを飲んだ時に甘さがいつもと違った時のような些細な違い。

「……なぁ、変な事を聞いていいか?」

 だが、6年間変わる事の無かった“感覚”から見立てが変わっているという状況は中々に気になるものであり、修理中という万全を期さねばならない状態にある事も考慮したナヴァルはうまく言葉にする自信の無いソレを問い掛ける。

「何でしょうか」

「こいつは本当にグリフティフォンなのか?」

 説明する自信が無かった事から、ナヴァルはまず経緯を吹っ飛ばして結論だけを口にした。

 そんな内容ではフィーエルも混乱するだけであり、何か含む所が無ければ怪訝な顔をされるだけで終わるという事はナヴァル自身も判っていた。

 だが、ナヴァルとしては疑問があると言う事を共有出来れば、読解するフィーエルに多大な労力を掛ける事になるものの解決に至れると思っての行動だった。

「――スカイクラウ04管理ユニット、フィーエルは、ナヴァル・トーラの能力を見誤っていたと思考し、記録を更新します」

 しかし、そんなナヴァルの無茶な振りに対し、フィーエルは驚いた様な表情を見せてから“彼女達”らしい相手を褒めていると思えぬ称賛をナヴァルに向けてきた。

 ――あー、なんかこのやり取りも覚えがあるなぁ……。

 パンドラも度々口にしていたその言い回しに、ナヴァルは懐かしさと寂しさとが混じりあった吐息を洩らすと共に『本当に姉妹なんだな』と至極当たり前の事を想い、その暖かな思い出に涙が滲みそうになる。

「スカイクラウ21は、OS(オーガノイドシステム)の侵食汚染によってゾイドコアを喪失。現在の同機は本機の更新用ゾイドコアを組み込まれた状態で運用されております」

「……重要な情報をいっぺんに投げてくるのは、お前も変わらないんだな。――え〜と、つまり……」

 TYPHON鎮圧戦の最後の時にあのゼニス改に組み付かれた結果、スカイクラウ21のゾイドコアは死亡した。

 だが、今はスカイクラウ21の存続を希望した“ザクルス”の手によって他のゾイドコアを埋め込んで馴染ませている状態にあり、そのコアはフィーエルの本機であるスカイクラウ04予備品を使っている――そんな事になるのだろうか。

「……って、更新用? お前達の本機はゾイドコアを2つ持っているのか?」

 フィーエルの説明にナヴァルの理解が追い付いた所で思考は新たな疑問に辿り着いてしまい、その突飛過ぎて異様な予測にナヴァルは思わず声を上げる。

「部分的に肯定。本機のゾイドコアの平均寿命は400年であり、連続的な長期稼働を維持する為、中枢ブロックには本機ゾイドコアの胚から形成した次のゾイドコアと交換する機能を有しています」

「…………パンドラは、そんな事言ってなかったぞ?」

 ナヴァルの言葉は常識外れもいい所といった内容であったが、フィーエルから返って来た答えはその突飛な予測を肯定するものであり、ナヴァルはパンドラから聴いた事の無いその機能に新たな問いを重ねる。

 同時に、ナヴァルの思考はTYPHON社による調査結果――権限不足から調査が進まなかった代物だが――という昔の記憶も引っ張り出しており、他に類似する案件が無いか思案を巡らせる。

「スカイクラウ21は、中枢ブロックも含んだ大部分に障害を受けたまま休眠していた経緯を持ちます。――同機構を失った時期は不明ですが、同機が再起動した際、既にコアの更新機能は喪失状態にあったとの事」

「ぬ――ちょっとまて、それは……」

 スカイクラウの系列艦に置いてゾイドコアは心臓としての用途に特化した部位であり、設計段階ではソレを使い捨てにする予定だったらしい。

 だが、その代替え機構を持たないパンドラは、ソレを使い捨てに出来なかった。これは理解出来た。

 ――だが、寿命が400年前後なのに対し、パンドラは何年そこに居た……?

 文明が発生・成熟するのには千年単位の時間が必要であり、“古代ゾイド人”がいつ滅んだのかは不明だが、そんな不具合を抱えていたパンドラはどれだけの永い時を耐え堪えていたのだろうか。

「その状態で現代まで稼働状態を維持出来た事は、奇跡的な確率の上に成り立っていると推察」

「――――」

 ナヴァル自身も気が付いたその可能性をあえて言葉にされた事で、彼の中に今まで考えもしなった風が吹いた。

 ――………神様って奴も、居るのかもしれないな。

 ナヴァルに信じる宗教は無く、神等と言うものは大衆から金を巻き上げる為の幻想としか思っていなかった。

 だが、理論では解決出来ない様な幸運が自分の身に振りかかった時、その存在を感じる他に術はなく――ナヴァルはその人生で初めて可能性を超えられるモノに感謝した。




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