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『起動』



 そして、その日は来た。

 TYPHON社の目的である『決起』とその先にあるニザム独立を実行に移せるかどうかの分水嶺、計画の要であるグリフティフォンが搭載しているコアジェネレーターの起動試験日。

 言葉にすれば単純だが、ソレはTYPHON社が24年の歳月を掛けて準備を続けた宿願の成否を決める、最初の試練であり――。

 その中心に立たされている黒髪黒目の青年――ナヴァル・トーラは、僅かな緊張を伴った表情で潜り慣れた管理室の扉を抜けた。

 実働部隊におけるナヴァルは圧倒的な撃墜数を有する同部隊のエースではあるが、三等官と言う彼の役職を軍隊に置き換えれば現場指揮官程度の権限しかなく、本来であれば中枢に近づく事すら許されない立場にある。

 だが、ナヴァルが特異な才能――ゾイドと繋がれる力(ZA能力)――を持っていた為に、彼はニザム独立を願う者の希望ともいえるグリフティフォンの占有者として指名され、同艦を操作すると言う分不相応な重圧に晒されていた。

 加えて、昨夜は不慣れな場所で一夜を過ごしてしまったという状況にあったのだが――。

 その彫の深い貌の中心にある目には力があり、その視線は自分が居るべき場所をしっかりと見据えていた。

「(仮称)グリフティフォン管理ユニット、パンドラが応対します」

 そして、開かれた扉の先で待つ緑髪赤瞳の女性――似合ってはいるものの、武骨な兵器の中に置いては場違いとも思える青いドレス姿が特徴的な彼女は、いつもと変わらぬ対応でナヴァルを管理室へと迎え入れる。

 その特異な格好に目を瞑れば、整った顔立ちと折り重なった布越しにも判る程にメリハリの有る長身を持つパンドラは、成熟した女性の色香を滲ませる美女であった。

 しかし、その正体はTYPHON社の新鋭技術の提供元にして、『決起』の要諦でもあるグリフティフォオンの管理ユニットであり――。

 真っ当な生き物ですらない相手であるが、ナヴァルが複雑に絡み合う様々な感情を寄せている想い人でもある。

「―――――」

 ナヴァルがそんな自分の感情を漸く理解する事が出来た夜――昨日の彼は結局パンドラの最適化に最後まで立ち会ってしまい、管理室で夜を明かしてしまった。

 朝になってからそれを知ったパンドラはなんとも極まりの悪そうな顔をしていたが、起動試験時の配置が管理室と決まっていたナヴァルは、そのまま既定の時間まで予習をしようと思っていたのだが――。

『ナヴァル・トーラ、船室に朝食を用意しました。管理室より一度退出してください』

 と、パンドラの手で管理室から強制退去させられてしまい、体調と身なりを整えたナヴァルは改めて管理室へと向かい――今に至る。

「……今日もよろしく頼む」

 今更の事であるが、ナヴァルとパンドラの関係はグリフティフォンを巡る契約上の物でしかない。

 しかし、自分の感情に気が付いてしまったナヴァルからすると、いつもと変わらぬ所作で応対するパンドラに対して色々と思う事が多々生まれてしまっているのだが――。

「コアジェネレーターの事前調査は完了しています。――どうぞ、コントロール・シートへ」

 そんな葛藤を考えてもいない筈のパンドラに導かれ、ナヴァルは管理室の中心へと案内される。

「……なんだかんだで、ここに来るのは初めてだな」

 そうして誘われたのは、ナヴァルがいつも使っているコンソールよりも高い場所――。

 配置から察するに、管理室で最も重要な場所なのだろうとナヴァルが考えていたそこは、しかし本来在る筈の光を一度も見せていない場所でもあった。

「見える風景は……だいぶ違うな」

 座ったシートの感触はいつもと同じ。

 だが、周囲に配された機材の密度が他のコンソールよりも多い所為か、まるで戦闘ゾイドのコクピットに居る様な感覚があり――機材にスペースを取られている為なのか、背後に立つパンドラとの間隔も近い。

「ナヴァル・トーラ。指示通り、外部との通信は音声のみに制限しました」

「――ああ。助かるよ」

 前の時に『起動に備えて』と言っていた以上、今日の本番でも同じ事をされる可能性が高いと踏んだナヴァルはその対策を事前に講じていた。

 ――あんな所を見られたら、色々拙いだろうからなぁ……。

 見た目はどうであれ、実際に行われている事は健全そのものでやましい事等一つもなく、むしろナヴァルにとっては恐らく命が掛かっていると思われる、重要な行動なのだが――。

 そんな実情を知らない部外者があの光景を見れば、常識を疑われる程の事態だと言うのは色事に疎いナヴァルでも理解出来ていた。

「……掴んだぞ」

 そんな保身も含めた他所事を考えながら、ナヴァルはシートの正面――戦闘ゾイドの操縦桿の様な物体を握りこむ。

「通信、開きます。――アイヴァン・グランフォード、占有者の準備が完了致しました」

 ナヴァルの準備が整ったのと同時にパンドラは回線を開き――管理室の外、グリフティフォオン内の格納庫に仮設された簡易指揮所との間に音声リンクが構築される。

『簡易指揮所、了解した。――こちらの準備も完了している』

 そうして開かれた通信先の簡易指揮所では、TYPHON社の代表であるアイヴァン社長が陣頭指揮を執っているのだが――。

 パンドラから『起動試験中はグリフティフォオン内の重量区画に立ち入らないよう』にと強く行動を制限された彼等は、ナヴァルよりも遥かに重役であるにも関わらずあんな所に押し込まれていた。

 ――ちと気を使い過ぎな気もするが……パンドラがそこまで神経質になるって事は、それだけ重要な案件なんだろうな。

 雇われであるナヴァルが中枢に居ると言うのに、その雇い主があんな僻地に押し込まれている状況を深く考えると気疲れでまた胃が痛くなるのを感じるが――。

「――――」

 その重圧を忘れる様に、ナヴァルは付け焼き刃で叩き込んだコントロール・シートの使い方を思い返す。

 今ナヴァルが握り込んでいるコレは、見た目こそ操縦桿の形をしているが本質は意思決定を体感的に思考し易くする為のダミーで、実際の入力はZA能力による感覚的な操作が基本となるとの事だった。

 そして、データベースにあった記録によると使用する者の能力の強弱によって見えるものは違うらしいが――正常に動作すれば脳内にイメージが投影されるか、周囲のモニターに無数の状況推移が表示されるらしい。

『では、パンドラ。……グリフティフォンのコアジェネレーターを起動させろ』

 そうして全ての準備が整った事で、アイヴァンは起動開始を命ずるが――。

「――――」

 しかし、パンドラは動かない。

 ――…………だよなぁ。

「……パンドラ、グリフティフォンの主機の起動を開始しろ」

 例え音声通信だけであっても、簡単に予想できてしまう今のアイヴァンの表情――。

 その苦々しい様を想像した事で胃痛が再燃してくるのを感じつつ、ナヴァルは自分が言わなければならない命令をパンドラに伝える。

「了解しました、ナヴァル・トーラ」

 そうして、ナヴァルの命令に先程の無視が嘘の様に応えを返したパンドラは、目を瞑って集中する様な所作と共にコアジェネレーターの起動準備を始め、管理室内の光が僅かに揺らめく。

「R(レゾナンツ)デバイスの起動に失敗。原因は――想定通りナヴァル・トーラのZA能力不足に起因。表層同化によって補正し、Rデバイスの起動を実施します」

「――――」

 状況を逐一報告するのは実にパンドラらしいが、才能が無い事ぐらいは黙っててくれないかとナヴァルは思う。

 だが、ナヴァルはその思考が自分の身勝手に寄るものだと考えを改め、それを戒めようと思った瞬間――。

「……早いな」

 その思考が形を成すよりも早く、パンドラは先日の最適化の時の様にナヴァルの背にのしかかり、身体を密着させながら自らの表層を変質させる事で彼の感覚系を奪いに掛かる。

 ――……本当に、早いな。

 その行為が成されてから僅か数秒。

 前の時とは比べ物にならない早さでナヴァルの背中にある筈のパンドラの感触が失われ、彼自身と彼女との境界が判らなくなる。

「規定レベルに到達。Rデバイス、起動します」

 そうして続けられたパンドラの言葉と共に、周辺にあるモニター群の内の三枚に光が灯る。

 ソレ等には時々ノイズが混じるものの、グリフティフォンとコアジェネレーターの状況表示、そして左の一枚にはナヴァルのバイタルデータらしきものが表示されていた。

 ――…………身長、171.3cm――珍しく間違ってやがるな。

 正面と右面にあるグリフティフォンとコアジェネレーターの状態表示はかなり重要な情報の筈だが、ナヴァルの視線はソレよりも左面の数字――気にしても仕方ないと判っていても気になってしまうバイタルデータの一項目に目が行っていた。

 ――俺の身長は172cmだっつーの。後で訂正させるか……。

 非常にみみっちい憤りと同時に、それでもまだ残っているナヴァル冷静な思考(ぶぶん)は測定器も無いのにどうやって測っているのかを疑問に思う。

 そして、その辛うじて冷静な思考が、適当な機器故にこの値はデタラメであり、気にするのも馬鹿らしい数値だと思い込もうとしていると――。

「――やはり、小さいですね」

 そんな子供の様なナヴァルの拘りを抉るように、無慈悲に心を穿つ一言がパンドラから飛んできた。

「人の身体的特徴を軽々と口にすんなっ! それに、お前さんが高いだけで平均よりは高いっつーの!」

 そのコンプレックスを容赦なく踏み抜く言葉に、ナヴァルの感情が珍しく沸点に達し――語気を荒げ、言い訳の様な反論を向ける。

 ――――とても今更ではあるが、何事も冷静に通す事を身上としているナヴァル唯一のコンプレックスが、身長(ソレ)となる。

 それというのも、これまでのナヴァルの根幹に関わった人物達――。

 ラオ・アクアビッツからインリオール・ユニオンに至るまで、ナヴァルが身内と思っている彼等は総じて背が高く――女性の場合には全員ほぼ同じ、男性に関しては全て見上げる形になると言う状況は、ナヴァルにそんな劣等感を形成させるに十分な要因となった。

 加えてパンドラもその分類に括られ、ナヴァルが預かっている教え子達も全員その分類に加わるとなると最早呪いの類であるとすら思えてくる。

 とは言え、パンドラの教育を受ける前から冷静である事を信条としていたのがナヴァルであり、何故そんな事に執着してどうするのかと思う時はある。

 だが、それでも抑えきれない感情に思わず声を荒げてしまったのだが――。

「――――」

 点灯していない複数のモニター越しに映る、その表情――明確な驚きの表情をしているパンドラの姿に、比較的冷静な所が罪悪感を覚え始める。

「身体的特徴――ナヴァル・トーラのZA能力の発現レベルの状態に関する所見でしたが、現在の人間はこれを恥と思うのですね」

「あー…………」

 そして、続けられたパンドラの言葉によって、ナヴァルの怒りが完全に勘違いだったという事が判明し――彼の中の罪悪感は羞恥へと変化し、彼を苛み始める。

 その上、冷静に成れば成る程、今の状況――簡易指揮所と音声で繋がっている為、社長達も聞いているという事実――に居た堪れなさが倍々で増えて行き、自己嫌悪で逃げ出したくなってくる。

「理解しました、今後は注意致します。――ですが、機関始動の認証レベルに到達できない事もまた事実です。先日の同化係数を元に接続係数を上昇させ、各チェックコードを個別にクリアします」

 しかし、そんなナヴァルの状況をパンドラが理解してくれる筈もなく――彼女は今成すべき目的を達成する為、それこそめり込むのではないかというぐらいに身体を締付けてくる。

 ――……いや、これは――なかなか……。

 今の二人を傍から見れば、パンドラが熱烈な抱擁を仕掛けている様に見て取れるのだろう。

 だが、ナヴァルの感触の消失は既に皮膚を通り越して上半身全体に及んでおり、自分がちゃんと息をしているのか、心臓が鼓動を刻んでいるのかすら彼には把握出来なくなってきていた。

 その根源的な恐怖によって、ついさっきまでナヴァルが感じていた生易しい感情は押し流され、生きている事すら実感出来ない不安が彼に息苦しさと肌寒さを押し付けてくる。

 それら苦痛は全て錯覚なのだろうが、ナヴァルが今まで感じた中でも取り分け強く死の足音を感じている中、背後のパンドラは淡々と作業を続けていく。

 その成果として、ナヴァルの正面にある大型モニターの表示は目まぐるしい変化を続け――処理の経過を示すように、無数のスレッドが開いては閉じてを一瞬の間に幾つも繰り返していた。

「機関始動の認証をクリア。機関始動認証の維持をダミーユニットに切り換え、ナヴァル・トーラのZA能力の全てを(仮称)グリフティフォンのゾイドコア出力制御に向け、同コアの出力拡張を開始します」

「ぐ、っ……」

 そうして続けられたパンドラの言葉と共に起こった変化は、冷えた極寒の中に在った身体を一瞬の内に灼熱の煉獄に移された様な感覚と言えば伝わるだろうか――。

 その感触の急変によって、ナヴァルの口からカエルがつぶれた様な呻きが上がり――身体は彼の意識とは無関係に痙攣し、その手は意思と無関係に掴んでいる物を離そうとする。

 ――離す、な……。

 だが、ナヴァルはその生理現象に抗い、割れる程に奥歯を噛み締めながら彼は指に力を籠め、パンドラから教えて貰った起動手順を保持し続ける。

『管理室、及び艦内モニターからの状況推移を確認。グリフティフォオンの艦外発電機からの給電を停止、内蔵電源に切り替えます』

『補助充電設備による給電可能時間は20分です、それまでに機関起動シーケンスを完了して下さい』

 そんな中、状況が推移した結果として簡易指揮所に詰めているオペレーターからグリフティフォンの現状報告とその変化による警告が上がって来る。

「――――ナヴァル・トーラ」

「…………大丈夫だ、続けてくれ」

 ナヴァル達の成果である順調な進捗とは裏腹に、彼を苛んでいる尋常ではない目眩と発火するのではないかと思える熱。

 そして、自分が此処で生きている事を実感出来ない恐怖の中――この状態に対する規定が無いのか、名前を呼ぶ事しか出来ないパンドラに対してナヴァルは継続の意思を伝える。

「――了解しました。起動シーケンスを継続、補助電源にてフライホイールを動作開始。1番コアジェネレーターの準備運転を開始します」

 3枚あるモニターの内、右側に表示されていた3本の巨大な円筒状の物体を纏めた様なCG映像――。

 グリフティフォンのコアジェネレーターを表した3柱の一番上、その長大な芯棒がパンドラの言葉と共に回転を始める。

「――1番コアジェネレーター、準備運転状態に移行完了。現在仮想出力2%にて出力安定、各機構最終チェックを開始」

 ちなみに、これは至極基本的な物理現象だが――モーター等の回転体は始動時に最も多くの負荷を要する為、主動力と接続する前に補助動力で回転させて初期負担を減少させるのが常識となる。

 つまり、今のコアジェネレーターは例え回っていても動作している訳ではなく、これは接続時にゾイドコアに掛かる負担を軽減する為だけの準備であり――。

「ゾイドコアの出力拡張を確認――1番コアジェネレーターとの接続準備、完了。ゾイドコアの出力制御をダミーユニットに差し替え、ナヴァル・トーラの全ZA能力を(仮称)グリフティフォンの統括制御に回します」

「っぅ――!?」

 ナヴァルの予測通り、パンドラの言葉と同時に先程までのソレとは比べ物にならない程の圧力がナヴァルに振り掛かってくる。

 ソレは、身体を小さな箱に押し込まれた様な圧迫感であり、容量は決まっていてもうどこにも隙間なんてないのに、押さえ付ける力はそんな事情等お構いなしに強くなっていくような感覚――。

 錯覚であると判っていても、ナヴァルが居られる場所がどんどん狭くなってくる様な未知の感覚――今までの人生で感じた事のないソレに、耐えると言う意思が消えていく。

 ――…………ま、ずい……。

 その現実を越えた、朦朧とした意識の世界の中で――。

『――ナヴァル。今意識を失えば、(仮称)グリフティフォオンのゾイドコアと思考が混ざってしまいます』

 ナヴァルは、今まで聞いた事が無い筈の声を聴いた。

「…………?」

 聞いた事の無い声音。だが、いつも聴いていた筈の声――その矛盾する疑問が気になって、落ち掛けていた意識が目を覚ます。

『今の私では、ナヴァルだけをゾイドコアの意識体から拾い上げる事は出来ません。どうか、堪えてください』

 耳からではなく心に直接入ってくる様なソレは、いつものソレよりもとても静かで心地よく――。

 そして、口調こそまるで違うが、その声が誰であるかをナヴァルの意識が思い至るよりも早く、身体に力が入る。

『…………グリフティフォン、起動せよ』

「――ナヴァル・トーラ、起動命令を」

 変わらぬ苦痛の中、はたと意識を取り戻したナヴァルの耳に、アイヴァンとパンドラからの求める声が届き――彼はまだ朦朧としている意識を留める様に、掴んでいる操縦桿を更に握り込む。

「…………主機、起動」

「了解しました。――ゾイドコアの出力による、1番コアジェネレーターの稼働を開始します」

 準備運転中のコアジェネレーターと熱を溜めたグリフティフォンのゾイドコアとが繋がった瞬間、ナヴァルも力を吸われている様な脱力感に襲われる。

 その感覚。今までの苦痛とは異なる、眠る様な感覚に意識を失いそうになるが――。

 ――……っ! まだだ、堪えろ……!

 グリフティフォンの中で聞いた声に応える様に、ナヴァルは自分を奮い立たせ――ただ前を見据え、彼は意識を保ち続ける。

「フライホイール、動作終了。1番コアジェネレーター、ゾイドコアからの出力による動作を確認。出力、上昇します」

 そして、遠くから響く音、管理室を震わす僅かな振動と共に、今まで十分な光を発していなかった周囲の計器類に光が生まれ始める。

 同時に、その光と比例する様に――ナヴァルの感覚も徐々にクリアになって来る。

「20、30、40――各冷却機関の負荷増大、及び同機の正常動作を確認」

 その光は、本来の動力炉から力を受け始めたグリフティフォンが、本当の姿へと戻ろうとしている証であり――。

 管理室と簡易指揮所とを繋いでいる通信からも固唾を呑んで見守る想いが届き――パンドラの淡々として報告と共に広がる光が、その結果を示し始める。

「出力、50、60――――70%、安定効率域に到達しました。出力固定、本機の管制システムの再起動を開始します」

 そうしてパンドラが続けた言葉と共に、管理室の照明が一瞬落され――。

 次の瞬間、Rデバイスと称されたモニター以外の全てに光が灯り、管理室は昨日までのソレとは大きく異なる、鮮やかな光でナヴァルを包み込む。

『――――』

「…………」

 その結果は――劇的。

 その余波は簡易指揮所にも発生していたのか、試験に立ち会った全員がその結果を表すパンドラからの報告を待つが――。

『……………………』

「――――――――」

 そんな期待で潰れそうな沈黙の中、パンドラは何らかの作業を継続し――その推移を示すように、ナヴァルの正面にある大型モニターは今回っている一番機の起動準備をしていた時の様な、目まぐるしく変化を続けていた。

「…………あのー、パンドラさん? どうなったのでしょうか?」

 徐々に重く固っていく静寂の中、簡易指揮所の期待とパンドラの沈黙との板挟みに耐えられなくなったナヴァルは、沈黙したままの彼女にそんな判り切った疑問を投げ掛ける。

「ナヴァル・トーラ。当機は現在、本機の全システムの確認と2番コアジェネレーターの始動準備を行っております。――現状では雑談にも満足な応対が不可能である為、意味の無い発言はお控えください」

 だが、ナヴァルが渾身の思いで絞り出した質問は、そんな取り付く島もない言葉によってにべもなく切り捨てられてしまう。

 しかし――。

 ――起動成功ぐらい、言ってくれても良いんじゃないかねぇ……。

 返されたその内容は、1番コアジェネレーターの起動に成功したという意味に等しく――。

『―――――』

 その結果を漸く聴く事が出来た簡易指揮所から、嵐の様な歓声が溢れてくる。

 ――――ZAC2124年、10月。

 この日、TYPHON社は身の丈を超えた夢を現実に移す為の手段――今の世界の常識を覆せる程の力を得た、希望の日となった。




 ZAC2099年――アイヴァン・グランフォードはガイロス帝国軍によって故郷を焼かれた。

 それは、二クシーの港湾部に本拠を構えていたTYPHON社の跡継ぎとして生を受けた彼が、オルリア市の支社を預かった直後に起こった出来事であった。

 中央大陸への足掛かりとするべく西方大陸に侵攻したガイロス帝国軍と、抵抗した二クシーの自衛組織との戦闘に巻き込まれた二クシー本社は瓦礫の山となり――アイヴァンは親類の殆どを失った。

 だが、アイヴァンはオルリア市で預かった社員の生命、そして先代達から引き継いだ社歴を守る為、彼はガイロス帝国に与する事を受け入れ――。

 オルリア支社を新たなTYPHON社の本社とし、その結果として同社は北エウロペに置ける帝国軍の一大修理拠点として名を馳せる事となった。

 その成果は私財を投げ売ってまでTYPHON社の技術革新策を推し進めていた先代達の努力の結果であり、ソレを土台とし、アイヴァンの苦渋の決断によって得られた繁栄は、同社を大きく発展させたが――。

 しかし、その栄華は西方大陸に置ける戦況が急変した事で、一転する。

 圧倒的優位にあったガイロス帝国軍の敗退と、北エウロペを制したヘリック共和国軍による敵軍に与した者というレッテルに寄った不当な圧力。

 個人所有の警備ゾイド等の整備補修事業によって倒産の危機は避けられたものの、へリック共和国軍から度重なる圧力はアイヴァンに国家に対する敵愾心を刻み込むには十分な経験となり――。

『力の無い者は、意見を述べる事も安寧を得る事も出来ない』

 それを確信したアイヴァンは自社の警備戦力を名目とした自社の武装化を開始し――時を同じくして本社施設の地下に“古代ゾイド人の遺跡”を掘り当て、その解析を開始した。

 そして、TYPHON社が“古代ゾイド人の遺跡”であるグリフティフォンの起動に成功した頃、アルバとウェシナが超大国に挑んだ独立戦争が勃発し――結果として、ウェシナは北エウロペの勝者となった。

 だが、同じ大陸の同胞による統治であっても、ニザムが戦乱に塗れる状況は変わらず――。

その結果として、アイヴァンは『自らが動かなければ、状況が改善する事は無い』と確信し、決断した。

 TYPHON社が武装化を始めてから24年を費やして得た力は、かつてこの地をかつて蹂躙したガイロス帝国のソレを超え、今のウェシナに一撃を加えられる程となった 。

 しかし――。




「どういう事だ、これは……!」

 光を取り戻した管理室にて更新された状況を確認したアイヴァンは、その結果に声を荒げた。

 TYPHON社が計画する『決起』。

 それは“遺跡”から得た技術によって開発・量産した第5世代機による勢力圏の防衛と戦略兵器(グリフティフォン)を使用した恫喝による、発言力の確保を要諦とした電撃的なニザムの独立策だった。

 そして、この計画の最大の懸念事項であったグリフティフォンもコアジェネレーターの再起動に成功した事で本来の力を取り戻し、あとは同艦を地上に引き上げ、『決起』を発動させれば全てが動き出す筈だったのだが――。

「現在、当該エリアに対し、終端誘導を行う衛星が掌握出来ていない状況となります」

 再起動によって光を取り戻した管理室の惑星儀――惑星Ziの地表全体を映す様な形のレーダーシステム――に『衛星反射砲』の照射可能エリアが視覚的に示された事で、新たな問題が露見した。

 先程も述べたアイヴァンの計画に置いて、グリフティフォンの『衛星反射砲』はウェシナと交渉する為の剣であり、第5世代機を含む通常戦力はその剣を振るわないで済むようにする為の盾として位置付けられている。

 交渉に置いて、相手を殺せるだけの力を持たなければ同じテーブルに着く事すら出来ないのは初歩的な常識であり――。

 『決起』の行程は、まずウェシナに対し独立の表明と戦略兵器使用の事前警告を発し、ソレに応えなければ現在のウェシナの本国であるエクスリックスの首都を『衛星反射砲』で蒸発させ、TYPHON社の存在を世界に示す。

 そして、政府機能を失った事で連合国家としてのウェシナの意思決定が麻痺している内に、御三家以外のウェシナ構成国や諸外国と交渉する事でニザムの存続と安全保障を実現する流れだったのだが――。

 計画の起点であるグリフティフォオンは、ここに来てその効力を目標に照射出来ないという問題を起こしてしまっていた。

「“アルフェスト遺跡”で入手したパスコードが通らなかった事から、現在通常のハッキングにて掌握工作を実施中。尚、パスコードが効力発揮出来なかった件に関しては――」

「そんな事を聞いているのではない!」

 パンドラの冷静な現状報告にアイヴァンは再び声を荒げ、彼女は自身の発言を無用と判断したのか沈黙する。

「――――」

 アイヴァンの視線の先にある惑星儀――。

 その表示上において、エクスリックスとサートラル、ファルストの領域だけがまるで黒塗りされたかの様に色彩を失っており――それは『衛星反射砲』の照射範囲外である事を示していた。

 これも常識であるが――対象国の要地に致命弾を与えられないのであれば、戦略兵器の価値は大きく減少する。

 ――敵国中枢に撃てないのであれば、その本懐である威圧が出来ないからな……。

 相互確証破壊――撃たれたら撃った方を必ず殺せる事を保障するのが戦略兵器の主な存在理由であり、使用するのではなく持っていると言う事に意味を持たせるのが本来の使い方となる。

 とは言え、衛星反射砲が照射出来ない訳ではない事から、ウェシナの他の要地を撃ってハッタリで『決起』を発令させる案もあるのだろうが――。

 ウェシナが初期の表明で動揺もしなかった場合、政府機能を麻痺させる事が出来ない為に統制された軍事力によって本社やグリフティフォオンがウェシナの猛攻に晒される危険性が発生する。

 ――ニザムの軍事的要衝である二クシー基地を蒸発させれば、ウェシナの攻勢を遅らせる事は出来るかもしれないが……。

 本国首都であるエクスリックスを殺れなければ消耗戦に追い込まれるのは確実であり、そうなれば二の矢を継げないTYPHON社に未来は無い。

 加えて、無計画な消耗戦に持ち込んでしまい、TYPHON社とウェシナが共倒れになれば北の大国であるガイロス帝国が動き――そうなればニザムの自治権の確立や独立は更に遠のく事になる。

「何故、今になるまで黙っていた? ……やはり、お前は最初から――!」

 ――……それは違う。

「……社長、少々失礼します」

「……なに?」

 TYPHON社の状況が手詰まりに近い事は変わらない。

 だが、薄氷を踏む綱渡りの様な計画であった『決起』をここまで漕ぎ着けさせたのは、パンドラの力があっての成果であり――ソレを貶める事は、誰であっても許される事ではない。

「パンドラ、サートラルは真っ暗だが――エクスリックスとファルストには少し色がある気がするんだが?」

「該当エリアは、終端誘導に使用する衛星を掌握出来ていない事から直接照射は不可能となっておりますが、遠方の衛星からの斜め照射により、時間と効力に制限があるものの効力の投射が可能となっております」

「だったら最初から――」

「照射可能な時間を判り易くリスト化して情報部に提出」

「了解しました」

 その意思、そして対応を決めたナヴァルは、失礼と判った上でアイヴァンの言葉を遮りながらパンドラへ指示を出し、それを受けた彼女は水を得た魚の様に素早い対応を返す。

「それと衛星が掌握出来なかった事に関する考察。可能性の高い順から纏めて、併せて情報部に提出」

 今まで幾度となく続けたその受け答えと断固とした対応を取ると言う決意に、調子が乗ってくるのを感じながら――ナヴァルは思考を回す。

「了解。優先度が低いと判断、バックグラウンドにて処理を続けます」

 ――……パンドラとの話し方を教えてやる。

 雇い主に喧嘩を売るような行為は、やり切ると腹を決めても胃が引っくり返ったような鈍痛を響かせるが――。

「それで良い。――社長と今後の行程を打ち合わせしたい。現時点で判っている実行した際の懸念事項、上位3つを今話せ」

 そんなもの、今のナヴァルを突き動かす衝動――パンドラを蔑ろにされた怒りに比べたら屁でもない。

「“アルフェスト遺跡”での環境情報、及び情報部の調査情報から、該当エリアの衛星にブロッキング処理を実施した組織は9年前に解体されたとされるアルバであると推察」

「アルバ……」

 独立戦争においてウェシナとヘリック・ガイロス連合軍との甚大な兵力差を覆し、同連合に勝利をもたらしたとされるZA能力者集団であり――。

 “古代ゾイド人の遺跡”に関する考察にも優れていた事から、ウェシナの新鋭技術体系の基礎を提供した組織であるとも言われている。

「――そいつ等がまだ生き残っている、と?」

 記憶の片隅からその歴史を引っ張り出したナヴァルは、以前サートラル領に入ってから感じていたあの“感覚”の事も思い出し――今の彼を突き動かしている激情の中であっても、アレは思い出しただけでも背筋が震えてしまう。

「検討に値するレベルの可能性はありますが、『決起』に際し、直接的な対応を行っている情報は認められません。しかし、強力な戦力を有している可能性があり、その動向は警戒する必要があると推察」

「……次だ」

「各隠蔽拠点から集結中のラファル2機が行方不明となっておりますが――複合監視衛星25号からの情報により、ウェシナ所属の機体に撃破された模様」

「――詳細は?」

「広域探査による不鮮明な光学情報のみである事から詳細は不明となっておりますが、ゼニス・ラプター単機に撃破されたと推察」

「1機にラファル2体が? 確か?」

「複数のゾイドと交戦中でしたが、戦闘可能な敵機が1体のみであった事以外の詳細は不明」

「…………」

 現在、TYPHON社が想定しているラファルとゼニス・ラプターとのキルレシオは1対9。

 戦闘に参加する数が増えれば、その分レートは大きく変動するが――単純に考えれば、この場合10体以上のゼニス・ラプターをぶつけられなければラファルが墜ちてはならない事になる。

 ――それが墜ちたとなると……。

「尚、補足情報としまして――ウェシナ・サートラルより発信された非常に高度な暗号を解析した結果、『ゼニス・ラプターの強化計画が完了した』との不確定情報あり」

「……可能な限りの情報を集めて情報部に送れ。こっちは纏めなくていい。――最後は?」

 パンドラの報告は不鮮明な情報だったが、『決起』に関する防衛戦の根幹に関わる内容であり――その判断は多角的な考察が必要と判断したナヴァルはその全てを情報部に丸投げする事を命じ、話を次に進めさせる。

「『決起』に際し、同行動がアイヴァン・グランフォードの独断である事から、TYPHON社の通常職員やオルリア市民による反対運動が発生する可能性あり」

「…………」

 至極当然の事だが――戦争は軍隊だけでは出来ない。

 まるで軍隊だけが勝手に続けた等と言う様に捏造される事も多々あるが、戦争を続ける為には必ず大多数の市民の賛同が必要であり、それがなければ軍隊はすぐに身動き一つとれなくなる。

 『決起』において、アイヴァンは電撃的な状況の推移によって戦闘に参加しない人員が全容を知る前に大勢を決めてしまう心算の様だが――。

 ――パンドラが成功確率を低く見積もったのも、この辺が影響しているんだろうな……。

「ソレは俺達が考える事じゃないな。――ありがとう、次の指示があるまで後ろで待機しててくれ」

「了解しました」

 どちらにしても政治的な話はアイヴァンの手腕か工作に頼るしかなく、ナヴァルの命令を終えたパンドラは彼から数歩下がった所で目を伏せて沈黙する。

「――社長、危険な状況にある事は確かですが……手はまだ残っています」

 そうして情報収集を終えたナヴァルは、この行動に置ける本題であるアイヴァンに向き直る。

「……この状況で、どんな手が残っていると?」

 その視線の先には、憮然としてナヴァルを見据える目があり、表情は爆発寸前の火山の様な様相だったが――挑むと腹を決め、話す内容も理解しているナヴァルにとっては、直視出来ないものではなかった。

「グリフティフォオンの対BC兵器耐性は常軌を逸するレベルにあります」

「――それで?」

「恐らく、今後要求されるであろうウェシナからの査察に対し、受け入れを表明しつつもグリフティフォンが居るグレートピット内にTYPHON社が直轄管理している原子力発電所の放射性廃棄物や融解したゾイドコアを放り込みます」

「………………気は、確かか?」

 そうして、一度も目を逸らさずにナヴァルが提案したその内容に、アイヴァンは信じられない物を見てしまったかの様に目を見開き、驚愕のあまり色を失った顔のまま――絞り出す様にその真意を問い掛ける。

「はい。グレートピットを近づいただけでも死の危険が伴う場所として、全てを隠匿してしまえば……時間は稼げます」

 グリフティフォンのデータベースから得た付け焼き刃ではあるが、提案している以上、ナヴァルはその行動の結果がどうなるかを判って言っている。

 汚染物質を開放するのが地中である事から効果は限定的であるとは言え、ナヴァルの提案は惑星上では中和が困難な猛毒をまき散らすに等しい最悪手であり――。

 その行動は、ニザム独立の大義を霞ませると共に、惑星Zi初の人為的で致命的な環境汚染を発生させた者として禍根を残す、人類種に対する裏切りとも言える行為だった。

「……とは言え、これは実行が可能――という可能性の話です」

 グレートピットを汚染塗れにしてしまえば、ウェシナの査察は確実に遅れ――なんなら、汚染除去の為のトランキュリティフィールドを展開しに来たウェシナ軍の部隊を奪取してガイロス帝国との交渉材料にする手もある。

「パンドラが出来る事は実現可能な選択肢を示し、持ち主の決定に従う事だけで――そこに、彼女の意思は介在しません」

 この言葉は、恐らくパンドラが望む受け答えなのだろうが――それを否定しているナヴァルとしては、言葉として表すだけでも胸が痛くなる。

 だが、判断する者がその決定を誤れば、その下に従属する者全てが危険に晒されるのが世の常であり――。

 TYPHON社の場合、その筆頭がパンドラとなってしまっている。

「そして、私達にはまだ選択肢が残されており……使えるものを全て使って逃げに転じれば、時間を稼ぐ事も出来ます」

 分不相応な上に最初は押し付けられた役目であるが、パンドラやグリフティフォンが危機に陥る事を避けるのが彼女等の占有者に指名されたナヴァルの役目であり――彼自身の願いでもある。

「実働部隊――俺達とパンドラは、社長の指示で動く駒です。どうか、冷静な判断をお願いします」

 ナヴァル自身、今の自分がどれだけ酷い事を言っているのかは理解している。

 ナヴァルの提案はどう考えても人一人で負える責任ではなく――その上彼が続け言葉は、ソレが実行された場合の責任をアイヴァンに押し付けると言っているに等しいものだった。

 ――……嫌な役割だな。本当に。

 そんな同情は思うものの、ソレがTYPHON社の責任者であり『決起』の発案者であるアイヴァンの役割となり、彼自身が始めた事だと言っても真摯に向き合うならこんなに割に合わない話は無いとナヴァルは思う。

 ナヴァルの提案以前に、アイヴァンの願いである『決起』やオルリア市に置ける経済的な支配状態の様に、軍事力であろうと経済力であろうと、個人で扱う事の出来ない力を持った組織の判断は凶悪である。

 しかし、国家規模の組織とはそんな凶悪な力を上手く使っていかなければ生きていけないモノであり――酷な話であるが、それを直視し、問題をどう解決するかを考えない人間に、ソレ等を操る資格はない。

 ――……いや、俺にも責任は有るんだろうな。

 ナヴァルはソレを手に持ってしまっているが、扱う側ではなく――彼のその言葉通り、彼等の命とグリフティフォンの動きを判断するのは、アイヴァンでなければならない。

 TYPHON社に雇われているだけの立場としては、その文面通り命じられた事を実行するだけで責任を問われる事自体が間違いではあるが――。

 パンドラの占有者であると名乗るのであれば、彼女にさせた事に対して責任を持たなければならないのだろう。

「……………変わったな、お前」

 重く、長い沈黙の後――アイヴァンは溜め息をつくようにそんな感想を呟く。

 切っ掛けは衝動的な感情によって発せられた言葉だったが、その内容は指揮官に必要な理論と冷徹な判断で組まれた、建設的なものであった。

「――判った。情報部と今後の方針を協議しよう」

 そして、突飛な案ではあったもの、まだ選択できる未来がある事が判った事――荒削りではあるが、問題を共有できる部下が居る事実にアイヴァンは冷静さを取り戻し、いくばくかの余裕を得た彼は今よりも先の事を考え始める。

「――迅速な議論の為に、可否を応えるだけの端末が送ってもらいたいが――出来るか?」

「パンドラ」

「可能です。簡易子機を生成し、情報部に移送します」

 そして、打てば響く様なナヴァルとパンドラの反応にアイヴァンは満足げに目を瞑り――。

「……今後も頼むぞ、ナヴァル三等官」

 その言葉だけを残し、ゆったりとした足取りで管理室を後にする。

「…………もしも遅延作戦が選択されたら、俺も一緒に引き籠ってやる。だから、そんな顔をするな」

 その最中、じっと去っていくアイヴァンの背中を見据えていたパンドラに、ナヴァルはそんな言葉を投げ掛ける。

「ナヴァル・トーラ、当機はその様な自発的な行動を行う事を規定しておりません」

 その横顔はナヴァルでも判断がつかない程に静かで、彼の言葉はあてずっぽうに近い自惚れだったのだが――どうやら正解だったらしい。

 ――……本当に何もなければ、「了解しました」とかの肯定で返すからな。

「………そうだったな。忘れてくれ」

 面倒くさいが、慣れれば判りやすいパンドラの本心――それが自分の想いと同じだった事を嬉しく思うのを抑えながら、ナヴァルはパンドラが望む反応を返す。

「――当機、及び本機は占有者であるナヴァル・トーラの決定に従うのみです」

「ああ。――もしもの時は、頼む」

 いつもの様に突いてこない事から、パンドラの中の規定のギリギリを擦り抜けられたと思う反面、突かれなかった事を寂しく思ってしまった自分自身を、ナヴァルは心の中で全力をもって否定する。

 ――攻められて喜ぶなんて……マゾじゃねぇんだからな……。

 ナヴァルはそんな物足りないと思ってしまった感覚を、上役に喧嘩を売るという状況とその結果に感情が高ぶっている所為だと理由を付け――。

「――ナヴァル・トーラ?」

「何でもない。……データベースを漁る前に一息付きたい、なんか用意できるか?」

 表情の変化から不振を感じたらしいパンドラをそう言って抑えつつ、それ等全ての感情を落ち着かせるべく飲み物の類を要望する。

「了解しました。――船室でお待ちください」

「判った。……ありがとな」

 一つの局面を超えたナヴァルは、そうして変わらぬ対応を続けてくれるパンドラに感謝しながら管理室を後にした。

 そうして船室で一息付いた後――色々忘れていた通常任務を思い出し、過密スケジュールに頭を抱えるのは、また別の話である。




 TYPHON社の命運を決める協議より、数日後――同社本社施設地下、グレートピットの中腹にて。

「各部マグネッサーシステム、問題なく稼働中」

 船体越しに響く、遠い衝撃――歩脚で壁の様にそびえる岩盤を穿ち、よじ登っているグリフティフォオンの状況を体感しているナヴァルの耳に、パンドラからの経過報告が届く。

 ――……まさか、自力でグレートピットを登れるとはな。

 『決起』の要諦となる戦略兵器を搭載した螺旋貝型の超巨大ゾイド――古代種、グリフティフォン。

 全長1.3km排水量28万tにもなる巨艦が、か細い歩脚で垂直の断崖であるグレートピットを登る姿は、傍から見ればさぞかし異様な光景だろう。

「ナヴァル・トーラ、(仮称)グリフティフォオンゾイドコアとの同調に集中してください」

「……悪い、少し油断した」

「歩脚の刺突対象が風化した自然物である以上、予測演算によるリスク回避は完全とは言えず、踏み外しが発生する可能性があります」

 そんな道程の最中、いつもの悪い癖で他所事を考えるナヴァルに対し、パンドラは普段以上に静かな無表情と氷柱の様に鋭い視線で、ぼうっとしている彼を詰問する。

「そして、その事態が発生した際、予期せぬ負荷増加によってナヴァル・トーラが意識を失う可能性があり――その場合、(仮称)グリフティフォオンはグレートピット下層に落下し、歩脚を含む底部の全壊は免れません」

「――――」

 そのいつも以上に鋭い表情や視線からも判る通り、自分やその本体が関わっている所為か、パンドラの所作は触れれば切れそうな程に真っ直ぐなのだが――。

 責められていると言うのに、ナヴァルの意識はその表情――覚悟の様にも取れるソレに見惚れ、一瞬言葉を失ってしまう。

 ――いかんな……色呆けている余裕はないぞ、ナヴァル・トーラ?

「…………悪かった。よそ見しないで集中するから、そう突いてくれるな」

 そう言って意識を改めたナヴァルは、そんな自分を戒めながら掴んでいる操縦桿もどきに集中する。

 ――まぁ、初めて操る機体であるのは事実だからな……慣れも何も無いか。

 長年ナヴァルと共に在っただけあって、パンドラも彼の癖――ゾイドを操る時に無心となって余所事を考えてしまう上、その方が逆に高いポテンシャルを発揮する事を理解はしている筈である。

 だが、パンドラ自身を含めた彼女の本体ともいえるグリフティフォンを動かしている以上、ソレが良い事と判っていても操縦者が上の空で居る事は気が気ではないのだろう。

「――――」


 しかし、口では集中すると言ったものの、長年の癖が早々直るものでもなく――。

 ――…………始まってしまったな。

 単調な挙動の連続に慣れてしまった事も重なり、ナヴァルは今の行動の意味を考えてしまう。

 協議の後、ナヴァルが提案した遅延策も含め幾つかの選択肢が精査されたが――社長は行動を決定した。

 ナヴァルの提案した通り、グレートピットに引き籠れば今のTYPHON社が喉から手が出る程欲しい時間が手に入る。

 しかし、情報部はラファル2体が墜とされた件と新型ゼニス・ラプターの情報に重きを置き、引き籠って戦力を整備している間にウェシナの不明機体が量産されてしまう事態――。

 ラファルやウラガンの優位性が消失し、『決起』の維持が不可能となる不確定要素を回避する為、アイヴァンと情報部は『決起』の発動を選択し――今に至る。

 ――……地上に出てしまえば、もう後戻りは出来ないな。

 国家以外の者が武力を振るうのはテロリズムに等しい行動ではあるが、一企業体が国家に意見を言える状況とするにはこれしか手段がなく、今更ソレに意見を投げる心算はナヴァルには無い。

 だが、ニザムを礎とする事で北エウロペ全土の復興と発展を成したウェシナの政策は、無慈悲な理論によって組み上げられているものの、とても効率的な復興策であるのも確かであり――。

 その利益を享受しているウェシナに属する一億六千万――運命共同体にも等しい同盟国であるネオゼネバス帝国も併せれば、四億に迫る人々――を守る安全保障を賄い、その発展を支えているのが今のニザムであると言える。

 その状況はからも判る通り、復興策はニザムの民全員がソレに反対しようとも、ウェシナが――いや、他国がニザムを領有する限り無くならない現実であり、ソレを覆そうとするなら、“今の持ち主”であるウェシナは全力を以って対応するだろう。

「…………」

 負ける心算はないし、挑もうという気概もある。だが――。

 ――怖くないと言えば……嘘になるか。

 知らなければ何も考えずに挑む事も出来たのだろうが、パンドラからの教育によってウェシナや他の国家の巨大さを知ってしまった今のナヴァルは『決起』の無謀さが理解出来てしまっている。

 そして、その無謀さを前にすると、今ここでわざと失敗してグリフティフォンを落とせば武力衝突を避けられるかもしれない、その方が良いのではないか――。

 そう言った臆病と後ろ指を指される感情や理論が脳裏を過るのもまた事実で――ソレをパンドラに指摘された時、言い繕える自信はナヴァルには無い。

 だが、そんな安全なだけの案を取れば、引き籠っている間はパンドラと話せる時間を得られるだろうが、その先に彼女の時間は多分無い。

 ――パンドラも初動の成功確率は六割弱と言っていたからな……初動は勝てる。その先は社長を信じるか……パンドラに予測を上げて貰い、独断でも確実な早期終結策を選ぶ。……それで良い筈だ。

 昔のナヴァルであれば、今の段階でアイヴァンを暗殺してグリフティフォンごとウェシナに寝返るといった確実な未来を選べたかもしれない。

 だが、既にナヴァルには教え子と言うTYPHON社への心残りがあり、ラオの死に対する怨恨と言う動機が生まれてしまっていた。

「…………未来、か」

 そんな雁字搦めで希望の無い現状を考えていたナヴァルは、過熱した思考を冷やす様に、ふと聴いてみたくなった事を実行に移す。

「――パンドラ、質問だ。なんとか結果を残せて、生き残れたら……お前はどうするんだ?」

「当機は、当機の状況を当機によって変動させる事はありません。よって、ナヴァル・トーラがその命を終えるまで、ナヴァル・トーラの占有物であり続けると想定」

「んー……」

 その抑揚の無い言葉に自惚れれば、『死ぬまで貴方の傍に居ます』と言うようなプロポーズの言葉と思う事も出来るが、冷静に考え直せば管理ユニットとして当然の事を言っているに過ぎない事が判る。

 インリオールは『誰かを見続けているならば女だ』と言ったが、パンドラの行動は持ち主に尽くすと言う管理ユニットとして正しい事を成しているだけで――穿って考えれば、別に相手がナヴァルでなくても彼女はそうするのでは? と、考えてしまう。

 ――……ま、別にどっちでもいい事か。

 インリオールに言わせると、ナヴァルとパンドラは互いに好き合いながらすれ違っているらしいが――。

 確かに、ナヴァルはパンドラに対して男性的な欲が有るものの、良好な関係のまま先に進める方法を知らず、そもそも進展させようと言う気概がない。

 そして、ナヴァルが今持っている感情はパンドラに対する『感謝』であり、ソレを返せる術を見つけたいと言うのが彼の願いであり、その麗姿を見続けたいと言うのは勝手な願望でしかない。

 協議では引き籠る策を提案したものの、その長引きそうな願いを叶える為には――勝つ以外に道はない。

「――地表に出ます」

「ああ」

 ただ単にグレートピットを登るのではない、今までとは違う行動。

 その縁によじ登る様なイメージにナヴァルは集中するものの、暇な身体は横目でパンドラを――見通せない筈の空を見上げている彼女を見詰める。

「―――これが、空。遠く、遠い――光学情報の視認限界まで蒼い、地表の日常」

 ――…………そんな顔も、出来るんだな。

 無事に歩脚が地表を穿ち、船体全てが地上に現れた事によって状況が安定してもパンドラの目線は変わらず、彼女は管理室のモニターではなく天井の先に在る空を見詰め続ける。

「…………パンドラ。今度は、海を見に行こう」

 その顔――世界を初めて知った様な、心ここにあらずといった表情に、ナヴァルの中で新しい欲が生まれる。

「――――ナヴァル・トーラ、発言の意味が不明です」

「それでもいいさ。俺が勝手に見せたいだけだから、暇な時にな」

 ソレはとても他愛のない事。

 行こうと思えば西方僅か30km程進んだ場所にあるアルグラ海に行くだけでも叶ってしまう様な些細な事だが、未来に成したい事が出来たと言うだけで、全ての問題を何と出来る気がしてくる。

「――必要となる目的が発生した際には、同行をお約束します」

「ああ、それでいい。――ありがとう」

 パンドラ個人を対象とした願いを伝えるのが初めての試みだった事から、彼女の機微を読むのに長けたナヴァルでもその内心は推察出来なかったが――。

 不満そうな顔ではあったが、了承を得られた事でナヴァルの頬は自然と緩み――ソレを実現する為にも、彼は今見なければならない前に目を向けた。



 ――――後に『第1次TYPHON鎮圧戦』と呼ばれる事となった、極めて短期間で終結した紛争は、グリフティフォンが地上に姿を現したこの瞬間から始まった。






 ニザム地方から、場所は移り――。

 北エウロペ大陸中央、ウェシナ・サートラル領サートラル。

 ウェシナ御三家の一角を成す同連合の主要都市の一つでありながら、そこは日干し煉瓦で組まれた背の低い家々が広がっており――太陽の光を弾く白い町並みは、御三家という大層な肩書を忘れさせる静けさに占められていた。

 その町並みを彩る白は、石灰を表層に塗る事で熱を逃がすという建築様式によるものであり、領土の殆どを砂漠で占められたサートラルでは一般的な物であった。

 しかし、そんな古風な建築物で占められたサートラルがウェシナ随一の古代チタニウム地金の産出元となっているという事を連想出来る人は少なく、その事実を知って驚くというのがこの町を初めて訪れる者の日常となっていた。

 貧弱な軍備しか持たないというのに略奪が起こらず、無慈悲な砂地の中に存在しているというのに構成都市群は安定的な水と電力を得られ、様々な鉱物資源の恩恵を受ける国――それがウェシナ・サートラルだった。

 それがどれほどの奇跡なのかを理解している者は少なく、自分に害が降り掛かる訳でもない事から誰もソレを調べず、連合にとって都合が良い事をしている以上追及する者は少ない。

 そんな謎多き都市唯一の高層建築物である市政庁の地下深く――。

「――――TYPHON社に対し、ウェシナ軍の集結状況はこちらとなります」

 その大深度地下に身を潜めた、全ての恵みの源である超巨大ゾイド“古代種”スカイクラウ04の艦内――部屋を覆い尽くさん程の無数のモニターが展開された管理室の中心で、金髪赤眼の少女が腹心からの小難しい近況報告を聞き澄ましていた。

 コントロール・シートの椅子に腰かけている彼女の名は、ゼフィリア・T・ジェナス。

 顔形や背丈から年の頃は十代後半と見て取れるが、ソレにしてはメリハリの付いた魅惑的な容姿を持つ愛らしい少女であり、曇り一つない髪や肌の艶からも名のある名家の子女と判る女性であった。

 しかし、整えれば高貴な花にも例えられそうなその肢体も、今はネグリジョにカーディガンを引っ掛けただけという寝起きそのものといっただらしない恰好をしており――。

 そんな状態で報告を聴きながら目覚めのコーヒーを嗜む彼女の所作は、無機質と情報に溢れた管理室に相応しくないのもまた事実であった。

「状況は、以上となります」

 しかし、現在の情勢を説明している緑髪赤目の長身の女性――復調した自らの所有者代理の要望に応えている管理ユニット――フィーエルの姿も大概であった。

 装飾こそ少ないが、重厚で質の高さを思わせる青いドレス――。

 早熟であるが故に若干アンバランスに感じてしまうゼフィリアのそれとは異なる、成熟した女性の身体を持ったフィーエルにそのドレス姿が似合っているのは確かだが――事務的な様式で整われた管理室に置いては場違いに過ぎるのもまた確かだった。

 しかし、彼女等は自分達の姿こそが正しく、場所こそが不釣り合いだとでも言っているかの様にように堂々とした所作で打ち合わせを続けていた。

「ん、ありがと。眠ってたからぜんぜん感知してなかったけど……なかなか良い感じに進めたね。これなら、あとはラフィーとウェシナが何とかするかな」

 格好はどうであれ、陰謀を組む立場にある彼女等――その長であるゼフィリアは、これまでの経緯に満足げな笑みを浮かべる。

 牙と爪で世界を語るゾイド達と繋がり続けなければ成らない故か、ゼフィリアは戦闘や抗争を好む気質がある。

 だが、シンシアやフィーエルによる幼少時からの矯正により、ソレ等の発生をなるべく避け、まず話し合いをした方がいいと言う理論はゼフィリアの中に根付いていた。

 しかし、相手が交渉をする気もないのであれば話は別であり――。

 武力を持って利益や権利を奪おうとするのであれば、同じ力を持ってソレを叩き返し、その源を奪い取るのが世界の常識であり――コレはゼフィリアの望む流れでもある。

 そんなゼフィリアとしては、自分がその渦中に参加出来ないのが残念でならないのだが――。

 長くとも数日で終わる戦場――その最中に繰り広げられる命の炎の煌めきを眺められると考えるだけでも楽しく、今からその日が待ち遠しいと感じていた。

「面倒くさい戦争にならない大規模戦闘――久しぶりだなぁ……」

 コントロール・シートから投げ出した足を揺らしながら楽しそうに中空を眺め、コーヒーと呼ぶのもおこがましい極甘の物体に口を付けるゼフィリアの姿は、どう見ても休日を楽しむ少女のソレだが――。

 その目の前にある情報――状況次第では千を超える単位の死傷者を出す計画を笑って眺めるソレは女王の貌であり、サートラルの掌握者にしてウェシナを影から引き締める役を引き受けている彼女は、今は動いている計画の要点をもう一度確認する。

「あとは――なるべく使える状態で向こうのスカイクラウを捕獲したいけど、アレで本当に大丈夫?」

 ゼフィリアは周囲を巡るモニターの中から“同調”による指示で目当ての端末を引き寄せ、その案件に集中する様にソレを読み始める。

「当機のデータベース内に該当艦の情報が無い事から、該当艦は本機よりも後発の艦と推察。その予測を鑑み、再利用可能な損傷となる破壊方法を選定しました」

 所有者代理の要請にフィーエルは管理室内に表示されている情報を更新、2日後の作戦――ウェシナによるTYPHON社への失敗する事を前提とした査察と、ソレを契機とした同社への武力介入の全容を表示する。

「ありがと。目を通しておくね」

 ゼフィリアの前にある関連情報も併せ、管理室にあるモニターの一枚一枚がフィーエルの現在処理している案件を表示しており――自分の物ながらその並列演算性能を凄いと思いつつ、彼女は目の前に資料を確認する。

 今回ウェシナが投入する戦力は、今のニクシー基地が有する戦闘ゾイドの約半数――。

 単純な戦闘能力に換算するとウェシナ・ニザム領に配備されている戦力の2/3を投入する大作戦であり、ウェシナ・エクスリックスの責任者の一人であるプリゼアは、今頃その出費の甚大さに頭を抱えている事だろう。

「ラフィーがしくじる筈がないけれど、他の案も全部回してるから……もう少ししたら、あの子も私達の物かー」

 その作戦に対し、ゼフィリアの本命はラフィーアのベネイアを使ってTYPHON社が運用しているスカイクラウのゾイドコアを侵食し、その結果を利用する形でゼフィリアが同コアを支配下に置き、同艦の全機能を掌握。

 中枢の掌握が済んだら、ラフィーアがそこに居た事も含めてクラスAAA弾頭で敵側のスカイクラウの外装諸共証拠を全て吹っ飛ばし、彼女との約束を完遂すると共に同艦を後で直せる程度に沈黙させる。

「――ゼフィリア様、まだ状況は確定しておりません。予測演算により現実を楽観する事は、危険な思考であると指摘します」

 思惑通りに状況が推移している事にゼフィリアが機嫌を良くしていると、そんな浮かれている彼女に釘を刺すようにフィーエルが冷静な指摘を挙げてくる。

「んー。とは言うけどねぇ……。フィーエル、全部合わせた成功確率――何パーセントよ?」

「後発艦の破壊、およびTYPHON社組織中枢の殲滅に関しては99.35%を保証。しかし、事後処理全てがリバイン・アルバに最善の結果を齎す可能性に関しては、現状68.52%となっております」

「そんだけあれば十分な気もするけどねぇ……」

 1発でも到達されたらお終いとなる戦略兵器の迎撃や戦闘参加機数が10機程度の小規模戦闘なら兎も角、戦闘参加数が千に届くレベルの戦闘にもなれば紛れは起こりにくくなる。

 加えて、フィーエルの演算には紛れの主な原因となる個々の技量も考慮に加えられており――未確認情報による誤差は在るだろうが、彼女の提示した予測演算はほぼ確定した未来予測であると言える。

「ま、いいわ。――時間はもう無いけれど、シンシアとも協力して後ろの確率を上げて頂戴」

「了解しました」

 今の受け答えによって喫緊の引き継ぎは終わったらしく、その合図の様にフィーエルが一歩後ろへと下がる

「…………少し暇があるし、ラフィーの近くで最後の晴れ舞台を見たいんだけど――ブリュナークを出して現場に行っちゃ駄目?」

 その所作を感じ取ったゼフィリアは、リバイン・アルバの長ではなくゼフィリア・T・ジェナス個人として、育ての親とも言えるフィーエルに向けて我儘の摺合せを始める。

 リバイン・アルバは、可能な限りウェシナに――と言うよりも世の中に対して――干渉をしない。

 ソレは組織内の限られた人員にしか話していないリバイン・アルバの方針であるが――。

 ソレを判った上でもやりたい事が出来てしまったゼフィリアは、決定に自分も関わった規則を守らなければならないという理論と、無視してでもラフィーアの戦場を見に行きたいと言う感情の狭間で悩んでいた。

 ゼフィリア自身、それが良くない願望だというのは判かっている。

 ただ、自分の優秀な理解者であるフィーエルなら、ゼフィリアが導き出せなかった答えを出してくれるかもと言う期待を乗せた質問だったが――。

「――――ウェシナへの干渉を避ける事をリバイン・アルバの指針とされたのはゼフィリア様であり、同時に、過干渉はゼフィリア様が執着しているラフィーアを信頼していないと同義であると諫言します」

 どうやら、どうやってもゼフィリアの行動は間違っているらしい。

「――そうね。ま、なんかあったら約束しているタイミング以外でも強引に動きを止める準備だけはしておいて頂戴」

 ラフィーアの大舞台に立ち会えない事を寂しいと思う心残りは有るが、我儘をきちんと諫めてくれるフィーエルに感謝しつつ、ゼフィリアはこの件の最後の命令を伝える。

「了解しました」

「ありがと。んじゃ、船内格納庫でオーガノイドシステムの解析に戻るわね」

 その確認が取れた所で、ゼフィリアはラフィーアの事をすっぱりと諦め――。

 管理室を後にする最中、視界の端に映ったTYPHON社の本社映像を見て『とても人間らしい、馬鹿で眩しい人達』と彼等を好意的に断じる。

 薄氷を踏む様な行程の連続に全てを掛ける彼等の無謀は、危険を好むが自分達の生存を第一に考えるゼフィリアでは選ぶ事の出来ない選択である。

 だが、自分達の力と命を天秤に掛け、それでも進む事を選べるのは――人間を措いて他になく、ソレはゼフィリアが望む人間の理想の一つでもある。

「――――」

 しかし、幾らその行動が立派であろうと、TYPHON社の台頭を許せばゼフィリアの手足であるリバイン・アルバはガイロス帝国と本気で事を構えなくてはならなくなり――ソレは立地条件を同じくするウェシナも同じだろう。

 ――……残念だけど、潰させて貰うわ。

 潜んだままここまでの計画を進めた彼等の努力と成果を惜しいとゼフィリアは思うが、だからこそあと腐れない程に叩き伏せる事こそゾイドと共に在る者の礼儀と彼女は決め、管理室を後にした。




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