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『時間』



 北エウロペ大陸の最西端、ブロント平地。

 そこはアンダー海やアルグラ海からの海風、レッドラストからニザム高地を越えて届く熱風等、様々な方向からの強風に晒される土地だった。

 そして、その環境は背丈こそ低いものの多種多様な植物を育み、隣接するニザム高地の荒れ様がまるで嘘のような、肥沃な大地を形成していた。

 そんな新緑の大地の上で、2体の機獣――分類上は高速ゾイドとして記録される黒と白の機体が、付かず離れずの苛烈なドッグファイトを重ねていた。

 本来、奇襲や急襲をその本懐とする高速ゾイドにとって、遮蔽物の少ないブロント平地は最も戦い難い場所と言えるのだが――。

 今、尋常ならざる速度で交差し、荷電粒子砲を撃ち交わしているこの2体にとって、その常識は意味を成さない。

 2種類の荷電粒子砲で目標を追い詰める黒い機体は、TYPHON社製試作量産型第5世代機――チータ型ゾイド、ラファル。

 そして、次々と繰り出される粒子砲の奔流を際どい所で躱し、相克を成す白――同TYPHON社の正式量産型第5世代機であるチータ型ゾイド、ウラガン。

 同じ組織、同じ素体で作られた2つのゾイドは、互いが搭載する4基の大出力マグネッサーシステムの機動力を遺憾なく発揮し、地表を、或いは低空を飛翔し、その搭載兵装を撃ち続ける。

「……っ!」

 第2次中央大陸戦争後期から惑星Ziの新しい常識となった高速戦闘用第5世代機。

 ネオゼネバス帝国のエナジーライガーを代表格とする亜音速戦闘ゾイドを捉えられるFCSは希少であり、このクラスの機体にとって敵の射撃兵器はその殆どが“当たらない背景”となるのだが――。

 ――流石は俺が使っていたラファル……っ!

 ソレが同じ技術で作られた同等の機動性と火力、射撃精度を有するゾイドであれば――その優劣はパイロット技量と機体の能力差に帰結する。

「……っ、この程度でビビるな……! 気合を入れろ……!」

 その現実に晒されている白いゾイド――。

 刻一刻と追い詰められているウラガンの機内、堀の深い顔立ちに脂汗を滲ませた黒髪黒目の青年――ナヴァル・トーラは、今日何度目になるかも判らない乗機への激励と共にラファルからの火線を捌きにかかる。

 今更な事柄ではあるが、ゾイドと戦闘車両等の兵器とではその在り方が大きく異なる。

 戦闘車両等はその全てが人の制御化に置ける人工物で構築されているのに対し、機動兵器としてのゾイドを制御している物はあくまでもゾイドコアであり――。

 ゾイドの操縦者であるゾイド乗りの役割を大雑把に表してしまえば、ゾイドという兵器にして欲しい事を、ゾイドコアに的確に伝えられる事がその技量となる。

 そしてゾイドの高性能化が著しい昨今、ゾイドコアの行動を制限するコンバットシステムとその挙動を補正する補助脳(戦闘データ)の重要性は増大する一方であり――その完成度が機体性能に直結すると言っても過言ではなくなっていた。

 ――……簡単に言えば、乗り続ければ強くなるって事なんだが――っ!

 ナヴァルの自惚れになるかもしれないが、彼があのラファルを預かってから先日手放すまで、彼が手塩に掛けて『第5世代機の戦い方』を叩き込ませたあの個体の経験値はTYPHON社随一と言えるレベルにある。

 つまり、今あのラファルを操っているナヴァルの教え子(パイロット)が多少のミスを犯しても、あの個体はソレを補正して最善に近い挙動を実行してくる。

 ソレに対し、今のナヴァルの乗機であるウラガンは起動試験に入ったばかりの新米であり、ゾイドコアや彼等が自分を動かす為の参考とする補助脳による補正を期待する事は出来ない。

 そして、カタログスペック上ではラファルとほぼ同じ性能しか持たないウラガンがラファルの上位機体として位置付けられているのは、慣性中和機構による操作性とソレを十全に発揮させる為の繊細で複雑な操縦系が有るからこそなのだが――。

 その主幹となる慣性中和機構は未だに調整段階にあり、ソレが無ければウラガンはラファルを超えるとされる運動性能を発揮できないのが実情となる。

 ――っ、やはり接近戦は不利か……?

 その苦境、機体の不備や操縦の負担全てを自分の技量で覆さなければならない状況にナヴァルが呻く中、乗機であるウラガンも今の緊張の連続に音をあげ始めており、彼は戦術の変更を考える。

 ウラガンやラファルが装備する荷電粒子砲は、それぞれが必殺――けん制に使用される狭範囲の速射モードですらデスザウラーのソレに匹敵する火力を有している。

 故に、一度でも当てればソレで勝負が決するのだが――。

 その一瞬の判断が全てを決する状況の連続に、経験の浅いウラガンは疲れ始めている。

 ――……退くか?

 新米に経験を積ませるのであれば、乗り越えられるかどうかと言ったギリギリの状況に放り込むのが一番ではある。

 だが、負けが込んで自信を失われても困る事から、ナヴァルは彼自身の技量と経験が物を言う遠距離戦に状況を移行させるべく、隙を見て戦闘距離を近接距離から遠距離へと一気に間合いを取りに掛かる。

「――っ、なに……!?」

 しかし、そんなナヴァルの癖を読んだラファルは、彼がウラガンに命じた離脱と合せる様に突撃を仕掛けてくる。

 同等の機動力を持った者同士による超高速の離脱と突撃は、至近距離での併走となり――ラファルはその状態のまま拡散荷電粒子砲を照射し、ウラガン(ナヴァル)を仕留めに掛かってくる。

「――っ、なんとぉおぉぅ!」

 その広い加害範囲に加え、ラファルによる随時照準補正も含めて連続照射された拡散荷電粒子砲を最後まで避け切ったのは、自惚れでも自画自賛でもなくナヴァルの技量あっての妙技だったが――。

 ――……っ、来るっ!

 ウラガンは回避に集中した事で減速、その結果として突撃を空かされて同機の背後へと行き過ぎてしまったラファルは左前脚を杭の様に地面に近づける。

 その動きの先にある行動は――左前脚周辺のマグネッサーシステムだけに制動出力を発現させた結果として起こる急旋回と、荷電粒子砲を連続照射させる事による疑似的な水平大斬撃。

「――っ、がぁ……!」

 強力な範囲攻撃ではあるがウラガンやラファルの性能であれば垂直跳躍だけで十分に躱せる攻撃であり、その兆候を察知したナヴァルには反応できるだけの猶予もあった。

 しかし、ナヴァルの思考や反射がそれに対応出来ても、亜音速戦闘による連続的な加速Gに晒されていた彼の身体は、その対応に付いけない。

 ――無理か……っ!?

 腕や指が動かず、機体挙動の遅れから躱しきれないと判りながらもナヴァルは迫る光から逃れるべく足掻き続けるが――ラファルの荷電粒子砲がコックピットモニターを埋め尽くした瞬間、機内照明がブラックアウトする。

『――撃墜されました』

「…………判ってるよ」

 その結果と同時に、抑揚の無い女性の声による報告が届き――その判り切った連絡に、ナヴァルは不貞腐れたような応えを返す。

 そして、ウラガンのコックピット機能が再起動したのと同時に、左のサブモニターに緑髪赤瞳の見慣れた美女――グリフティフォンの管理ユニットであり、今の演習を制御していたパンドラの姿が映る。

 TYPHON社の新鋭機による同士討ち等あり得ない事からも判る通り、今までナヴァル達が行っていたモノは実戦ではない。

 実際に在るゾイドとそのコックピットを利用した演習――ゾイドコアにも疑似的な負荷や動作状況を伝え、パイロットにもある程度の負荷(G)を加えられるというパンドラの新機能となる。

 ――“アルフェスト遺跡”から得た情報で再現出来る様になった機能らしいが……この慣性制御系の技術を転用出来れば、いろいろ話は楽なんだがな……。

 ウラガンが実装しようとしている慣性中和機構も、元を辿ればグリフティフォンの技術となる。

 その為、パンドラがソレを使いこなせるのは当然と言えば当然なのだが――。

 パンドラ自身にもどうしようも事情があるとはいえ、ナヴァル自身が身を持って体感しているこの技術を自由に転用出来ない事実は、仕方ない事と判っていても歯痒いと思ってしまう。

『(仮称)グリフティフォオン管理ユニット、パンドラが発言します。――慣性中和機構が機能していない状態では、ウラガンとラファルと能力差は僅かでしかありません』

「…………ああ」

 パンドラの言葉は、その両方のゾイドを操った事の有るパイロットであればすぐに判る事だ。

『そして、ウラガンは慣性中和機構を前提とした難解なマンマシンインターフェイスを採用している事から、同パイロット保護機構が封印されている状態の同機は、操作性の低下したラファルでしかありません』

「……そうだな」

 そして、その不備を打破出来る可能性を持っているパンドラにソレを指摘されると、焦らされている様で煩わしいと思ってしまう感情がある。

 しかし、パンドラが自分自身を縛る規定によって情報を開示出来ない事も、今の彼女の発言が純粋にナヴァルの安全を思っての気遣いである事も理解している彼は、その身勝手な考えを静かに押し殺す。

『現状ではラファルに搭乗した方がよろしいのでは、と進言します。対戦相手を務めるラファルパイロットの疲弊が規定値を超過しました、演習を中断します』

 ナヴァルの沈黙を肯定と受け取ったパンドラは、そのまま演習相手の状況を伝え、演習中断の通達と共に通信を切る。

「――――」

 誰の目も無くなったウラガンの機内で、ナヴァルは静かに息を吐く。

 確かに、ラファルの戦闘能力は凄まじい。

 だが、試作量産機故に問題も多く――その一つに稼働時間の短さがある。

 ソレはゾイドコアの体力や燃料等のエネルギー的な問題ではなく、この機体サイズに対して多くの性能を付加した事に起因するフレームへの過剰な負荷――。

 戦闘を重ねる程、間接は元よりフレームにすら疲労が蓄積し、整備無しで戦闘を続ける度に空中分解の危険性が増していくと言う欠陥がある。

 ――交戦時間を限定出来る攻勢に使う分には、ラファルでも何とか実戦に耐えられる。だが……。

 今後必ず発生する本社(タイタニア)防衛の際、その不安定要素は大きな障害となる。

 ――『決起』の前に、見つかってしまったからな。

 “アルフェスト遺跡”での調査部隊壊滅によって反体制活動の動きを察知され、TYPHON社はその企業と言う見掛けに秘めた独立の意志を、体制側である西方大陸都市国家連合(ウェシナ)に感づかれつつあった。

 同時に、ウェシナからの圧力が強まってきている危機的状況でありながら、未だに完成の目途すら立たないウラガンの慣性中和機構の現状を憂いながら、ナヴァルはその機体――自分の新しい乗機の事を思う。

 今ナヴァルが搭乗しているウラガンは、ラファルの問題を解決するべくTYPHON社が再設計した同社の最新鋭ゾイドとなる。

 ラファルからの是正点の例を挙げれば、火器の一元化と高効率化による武装重量の軽量化、機動補助スタビライザーの追加による安定性の向上とフレームの一部見直し。

 それ等の設計変更により、ラファルで発覚した問題の全てを解決したのがウラガンであり――今後実施される筈の防衛戦の際、こいつの継戦能必ず力が必要になる。

 ――だが、まぁ……正式量産型だって言うのに未解析の技術を根幹に置いたのは失敗だったな……。

 慣性中和機構によって操縦負担からも解放される筈だったウラガンは、開発に成功すれば他の第5世代機すら圧倒出来る通常戦闘の切り札となる筈だったが――。

 完璧を求め過ぎたが故に、『決起』の時期が想定通りに進んでいたとしても完成の目途が付いていなかった状況は――正直、技術部の見通しが甘かったとしか言いようがない。

『ナヴァル・トーラ。インリオール・ユニオンより通信です』

「インリーから? ――繋いでくれ」

 ナヴァルがそんな状況を考えていると、パンドラからの通信が再び開かれ――その内容に彼は快諾を返す。

『よぅ、ナヴァル。負けが込んでるみたいね』

「うるさいよ、インリー。――で、何の用だ?」

 相手方からのコールに応える形で開かれた右側のサブモニターに、透き通る様な青い瞳と焦げ茶色の髪(セミショート)が特徴的な妙齢な女性が映る。

 彼女の名は、インリオール・ユニオン。

 その可憐な容姿とサバサバした性格から、実働部隊や技術部の面々に『言葉遣いが荒っぽいのが玉に瑕』や『いやいや、それが良いんじゃないか』等々、様々な評価を受けているTYPHON社でも名うてテストパイロットである。

 ちなみに、インリオールもナヴァルと同じラオ・アクアビッスの弟子であり、ナヴァルもその縁からの付き合いになるのだが――その期間は、なんだかんだで長い。

 ――ま、裏表が無いんで誤解を受けやすいが……悪い奴じゃないのは確かだな。

 そんな昔馴染みの経歴をざっと思い直したナヴァルは、その思案を好意的な結論で締める。

『なーに、目の上のたん瘤であるくそ野郎に、負け癖が付いてるって聞いてね。今の内に撃墜スコアを貰っておこうと思っただけよ』

 だが、そんなナヴァルの好評価をあっさりと吹き飛ばす様なインリオールの言葉に、ナヴァルは自分が出した結論に若干の後悔を覚える。

「…………評価を改めたくなって来たな」

『何の話よ』

「……何でもないよ」

 しかし、久しぶりなので面食らったものの、こんなのがいつもの事だったとナヴァルはその後悔を諦め、気を取り直す。

『で、私のレムナントとヤルのヤラないの?』

「――――」

 ティラノサウルス型ゾイド、レムナント。

 その機体はラファルとTYPHON社の主力選定を争ったゾイドであり、火力――ソレも広範囲を加害する大出力拡散荷電粒子砲の搭載を主題に開発された実験機である。

 だが、TYPHON社の主力がラファルやその発展型であるウラガンを主軸としている結果通り、主力の座は惜しくも逃したゾイドでもある。

 しかし、そんな結果があったとしても、レムナントが優秀な機体である事に変りはなく――『現在は低コスト化に向けた研究がなされている筈』と、ナヴァルはかの機体の現状を思い返す。

 ――デスザウラーと同等かそれ以上の範囲攻撃力を、ジェノザウラー級の機体に詰め込めたのは脅威でしかないが……如何せん、それ以外がゼニスとトントンだったのが拙かったな。

 インリオールとの因縁の始まりとなったその一戦、ナヴァルのラファルが彼女のレムナントを降した演習を思い返したナヴァルは、その戦闘の経緯をそう結論付ける。

「――選定試験の巻き直しをしてもなぁ……」

『はっ、言ってな。――パンドラ、あんたのお気に入りの慢心を叩き直してやるわ。さっさと準備して』

 ――ちょ、おま……何言って――。

『(仮称)グリフティフォン管理ユニット、パンドラがインリオールに発言します。ナヴァル・トーラは当機の――』

『体面ばっかり表に出すのは面倒だってーの。ナヴァル、さっさと口説くなりして片付けてやった方がいいぞ』

「おまっ……何言っちゃってるの!?」

『なによ、ホントの事でしょ? ――ん? パンドラ、なんか文句ある?』

『――――』

 ――し、視線と沈黙が重い……。

 噛み合わない言葉による応酬の後、ナヴァルを挟んで左右のサブモニター間で交わされる、パンドラとインリオールの視線の衝突。

 時折ナヴァルにも突き刺さる、静かだが苛烈なその応酬にナヴァルが言葉も発せないでいると――。

『――レムナントの機体情報のインストールを完了、同機のゾイドコアとの同期に成功――ドールによる疑似慣性の再現準備終了、バトルフィールドを構築します』

『よっしゃ。ナヴァル、覚悟しな!』

「ちょ、待――」

 当事者の片割れが一言も意見を発せないまま、演習の準備が開始され――ウラガンのコックピット機材がパンドラの操作によって彼女との接続を再開する。

『疑似演習、スタート』

 そして、パンドラがそのまま続けた一方的な通達と共に、戦場が展開される。

「…………って、――えぇ?」

 遠い。そして、限りなく広い。

 視界に映るのは、限り無く広がる空の青と大地の緑――ウラガンとナヴァルが放り出されたのはそんな空間だった。

 そこは遮蔽物一つない、まるでロブ平原の様にだだっ広いバトルフィールドであり――。

 目標となるレムナントはレーダーレンジの端、このフィールド上でウラガンが今居る場所とは対角線上となる場所に居るようだった。

 ――…………いや、ちょっと待て。

 先程も話題に乗せたが――ウラガン等の高速ゾイドの基本は奇襲と急襲にあり、遮蔽物のある戦場でその真価を発揮する。

 それに対し、レムナント等の主力ゾイドは直接戦闘を基本としており、自らの攻撃が通る状態であれば戦場を選ばない。

 そして、第五世代機との近接戦闘に置いて、同世代の高度なFCSであればソレを捉えられると言うのは先も述べたが――。

 それ以前の条件として、ここまでの遠距離戦になってしまえば射程と火力以外の要素が殆ど役に立たなくなる。

 しかも、広域を加害するレムナントの荷電粒子砲は、距離が開けば開く程加害範囲が拡大する。

『……ふざけた戦場ね』

「――っ!」

 ――死ぬ気で前に出ろ、ウラガン……!

 インリオールの苛立った声と同時に自分達が置かれた状況を理解したナヴァルは、コックピットの機械的操作と“感覚”による精神的接続の両面からウラガンに全力疾走を命じる。

 ウラガンとレムナントの互いの火力は、それぞれの防御力を遥かに上回っている。

 その為、ウラガンが相打ち以上を狙うのであれば――高速ゾイドの特性を生かし、レムナントの拡散荷電粒子砲を余裕で捌ける距離に近づかなければならない。

 ――奴は近接兵装も充実してやがるから、近づけば楽と言う訳でもないが……っ!

「――づっ」

 そんな先の事を考えるナヴァルの意識を刈り取る様な加速――。

 ウラガンの四肢に内蔵された四基のマグネッサーシステムが唸りを上げ、71tもの機体を弾丸の様に叩き出す。

 その強烈な加速Gに耐えながら、ナヴァルは“感覚”を総動員してレムナントの動き――近接するまで3回は避けなくてはならない筈の、仮想敵の長距離広域荷電粒子砲を読みに掛かる。

 ―――――そんな分の悪い賭けを5回。

 都合15発もの死線を潜り抜けなければならない悪夢を、何故か休みなしで連続強行されたのは――正直虐めの類で、出る所に出れば勝てるとナヴァルは思った。



 北エウロペ大陸西端、ブロント平野の西側中央に本社を置く軍需企業TYPHON社。

 同社は北エウロペは疎か南エウロペにすら支店を持つ西方大陸随一の帝国系ゾイドの補修部品メーカーであるが、その内にウェシナ・ニザム領独立の志を掲げる反体制組織であり――。

 その中枢、本社施設タイタニアの真下に存在する大深度地下にて。

「(仮称)グリフティフォン管理ユニット、パンドラが発言します。――お疲れのようですね、ナヴァル・トーラ」

 断層と暗闇の中に隠された『決起』の要諦、螺旋貝(オゥルガシェル)型巨大ゾイドグリフティフォオンの管理室――そのコンソールに突っ伏しているナヴァルの背に、パンドラからの静かな声が届く。

 ――誰の所為だよ、だ・れ・の。

 その『自分は関係ありませんよ』的な雰囲気を醸し出している元凶に、ナヴァルは心の中で苦々しい恨み言を思う。

 だが、それと言って強く出れない今の状況から、ナヴァルはその思いを言葉として口にする事無く“処置”を受け続ける。

 今日の日付は、件の演習の2日後――大局的な方で言い直すと、グリフティフォンに搭載されているコアジェネレーターの起動試験を一週間後に控えた最後の準備期間となる。

 そして、先日のインリオールの乱入から続けられた一時間強に渡る追加の連続演習により、TYPHON社の現状を憂うナヴァルの気は紛れたが、それ以上の疲弊が彼の体をジクジクと痛み付けていた。

 しかし――。

「ゾイド乗りとして最適化されているナヴァル・トーラに身体に対し、過大な負荷状況を確認。――慣性中和機構が機能していないウラガンへ搭乗する負荷は、熟練者であっても危険なレベルにあると再認識します」

 そんな小難しい報告と同時に行われる“処置”――絶妙な按摩(マッサージ)は、ナヴァルの疲弊を的確に揉み砕いていた。

 ――……素人がやると、再生している筋肉の動きを妨げるだけらしいが……パンドラの事だから、多分そんな事は無いんだろうな……。

「――――」

 ――…………あぁ、これは……拙いなぁ……。

 簡潔に言って――溶ける。

 金属特有の冷たさと女性特有の柔らかさ、それ等に的確な力加減と高い技量が加わった按摩はまさに絶技であり、ナヴァルの年齢では本来そんなものは必要としない筈なのだが、彼の意識は開始早々陥落の憂き目にあっていた。

「ウラガンの戦闘データの蓄積、最適化は順調に推移しております」

「まぁ……その為に、乗ってる訳だからなぁ……」

「しかし、過剰な戦闘経験を補助脳に加えたとしても、処理しきれずに消去されるだけだと推察。ナヴァル・トーラが演習に過大な時間を割く必要は無いと進言します」

「…………まぁ、そうなんだがな」

 “アルフェスト遺跡”から衛星のパスコードを持ち帰り、後続の帰還を待っていたナヴァルがタイタニアで聞かされたのは、彼等とニカイドス島に派遣されていた陽動部隊が壊滅させられたと言う結果だった。

――調査部隊の方は、そうなる可能性も考えてはいたが……まさか、ニカイドスの方も殲滅されていたとはな……。

 同時に、アルフェストで偶然入手してしまったクラスAAA弾頭もTYPHON社には届いておらず――痕跡は何も残っていないが、パンドラと情報部は何者かの手によって移送中に襲撃・奪還されたと結論付けていた。

 それ等の結果――TYPHON社が徐々に追い詰められている様に感じられる状況に焦りを感じているというは、ナヴァル自身もよく判っている。

「――だが、時間はあるんだ。……何もしない訳にはいかないだろう?」

 その焦りと絶望に楔を打ち、この状況を覆す礎とするように――ナヴァルはその決意を言葉にする。

 『決起』よりも前に事が起こってしまえば、TYPHON社の通常戦力が足りなくなるのはまず確実となる。

 そして、その状況が現実の物となってしまった時、慣性中和機構無しでもウラガンを乗りこなせるようにしなくてはならないとナヴァルは考え、ソレを実現出来る様にウラガンの練度向上に努めていたのだが――。

「――――」

 しかし、この苦境を打破しようと意気込むナヴァルの返答に、パンドラは沈黙で返す。

 ナヴァルの背後にパンドラが居る以上、彼からその表情は窺う事は出来ない。

 だが、これまでの付き合いからナヴァルは今のパンドラの沈黙が不満かそれに類する物だと直感し、同時に何か嫌な予感も感じた瞬間――。

「(仮称)グリフティフォンの起動に備え、当機はナヴァル・トーラとの同化係数の最適化を実施します」

 パンドラはナヴァルの知らない単語が含まれた宣言と共に按摩の手を止め、その腕をスルリと彼の脇下へと回し、流れる様に淀み無い動きで彼を抱き締めに掛かる。

「な、なに――?」

 重ね重ねになるが、控えめに言ってパンドラはスタイルが良い。

 その最たる例、服越しにもハッキリと判る2つの膨らみが背中に強烈に押し付けられる感触に、ナヴァルは混乱と動揺と焦りが同時に表に出ると言う何とも滑稽な表情で振り返ろうとするが――。

「なお、調査はナノマシン群体による侵食を主とします。これにより、ナヴァル・トーラは(仮称)グリフティフォンの起動実験日まで、正常な身体活動が出来なくなりますが御了承下さい」

「ちょ、おま――」

 背後からしっかりと拘束された今のナヴァルからではパンドラの後ろ髪を眺める事しか出来ず――その物騒な単語に彼が抗議の声を上げようとするも、それを言い切るよりも早くに彼女は行動を起こす。

 ――ぬぉっ……!?

 その感触――件の強烈な双丘を自分から押し潰そうとしているかのような圧力、ナヴァルとの接触面を可能な限り広げようとするかのようなその抱擁。

 パンドラのソレは、行動こそ魅惑的だが一緒に告げられた言葉は何度鑑みても『命に関わりそうな危険な事をします』としか思えない非常事態の筈であり――。

 ナヴァルはその発言の真意を考えなくてはならないのだが、彼の意識は背中に掛かる圧倒的な2つの質量――普段は努めて考えない様にしていたものの、実際に感触として受ければ驚異的なソレ――にどうやっても向いてしまう。

 ――というか、構成物質は金属……ゾイドコアと同じナノマシン群体だって言うのに、この柔らかさと程良い弾力を併せ持った感触は反則じゃ……!

 今までのナヴァルは、視界内でソレが揺れようが僅かに触れようが平常心を努めていたのだが――流石に逃げる隙間も無く押し付けられている様な状況で平静を保てというのは無理な話ではある。

「…………なん、だ――?」

 しかし、時間が経つにつれてナヴァルを悩ませる触感が徐々に薄れ始め、ソレと変わる様に背中にのし掛かっている筈のパンドラと自分自身との境界が判らなくなってくる。

 ――……どうなっている? パンドラの重みに慣れたり痺れたりと言った感覚じゃないが……。

「――ナヴァル・トーラの現状の状況収集までを完了。要確認事項、1件有り」

 ナヴァルが今まで感じた事のない感覚――局部麻酔とも異なる、感じ方によっては背中が無くなった様にも思える感触を不審に思う中、背後からパンドラの事務的な報告が届き――。

「ナヴァル・トーラは、何に対して生殖欲求を感じているのですか?」

「…………………はぁっ!? おま……何言ってんのっ?」

 その圧倒的爆弾発言。

 今までの疑念を軽く吹き飛ばすパンドラの発言、ナヴァルが今思っている事全てを見透かされたような言葉に爆殺され、彼の思考が一瞬の内に真っ白になる。

「当機は現在、表層の構成物質を変質させ、ナヴァル・トーラの皮膚表面に簡易的な侵食を実行中」

 だが、パンドラはナヴァルの動揺をよそに、彼の発した『何言ってんのっ?』と言う単語への返答を始める。

「コレにより最適な同化係数の算出、DNNパターンの入手や非常時に備えての脳内スキャニングを行っておりましたが――現在、求愛や繁殖の欲求を示すとされる数値が高く出ております」

「――――」

 その律儀な返答から、ナヴァルは自分が何か常軌を逸した物凄い事をされている事は何となく理解したが――それより先に、恥ずかしさのあまり死にたくなった。

「記録上では、生体ユニットを拡張した管理ユニットと『関係』、と呼ばれるものを持ち、子を得た所有者も存在したと記載されています」

 だが、パンドラが感情に起因する事でナヴァルを逃がしてくれる筈もなく――。

「よって、ナヴァル・トーラの反応は異常では無いと判断出来ますが――ナヴァル・トーラに対し、当機も生体ユニットの生成を行った方がよろしいのでしょうか?」

 羞恥で溶けかかっているナヴァルの脳みそに対し、パンドラは絶対に後で問い掛けければならない言葉を押し込んでくる。

 ――こんな魅惑的な身体を押してけられたら、男なら誰でもそうなる……と言うか、今は管理ユニットになっていると言っても元々は生き物で女性なんだから、もう少し恥じらいと言うものを――。

「――って、ちょっと待てぇ! 重要な事をいっぺんに言うなぁ!」

 今の二人の事を端から見れば状況が確定しそうな状態である事に変わりはないが――ひとしきりの動揺を終えたナヴァルの思考が、ようやく現実に追いついてくる。

「…………パンドラ、1つ目の質問だ。その生体ユニットうんぬんの記載というのは何処からの情報だ? お前と同じ様な存在が他にも居たと言うのはこの前聞いたが、その続報が出たのか?」

「肯定です。“アルフェスト遺跡”から得られた衛星のパスコードを収集した際、新たな未解析データも入手しました。現在は本機の機能修復と並列して解析中です」

 ――…………まぁ、仕方ないことだな。

 そういう重要な事を黙っていてくれるなとナヴァルは突っ込みたくなるが、管理ユニットという肩書通り、パンドラが処理している案件は膨大な数に登る為、一々報告を作ろうとすればコストや人員が幾らあっても足りなくなる。

「……解析状況は?」

「――保存状態が良好とは言えず、本機の同型艦の総数や現在地等の情報は入手出来ないと予想されます」

 他の有益な“遺跡”の手掛かりになるかもしれないと言う淡い期待を乗せ、ナヴァルは先を促すが――パンドラからの返答は芳しくないものだった。

「――そうか」

 此処や“アルフェスト遺跡”の地下の様に、グリフティフォンが生存出来る条件が揃った場所が判れば、将来的にグリフティフォンの配備数を増やせるかもしれないと言うのは“遺跡”の探索中にナヴァルも思い付いた事だが――。

 ――現実は厳しいな……。

 そんな結論を改めて認識したナヴァルは、取り急ぎで使えそうに無いこの件を思考に外へと放り出しながら次の質問を重ねる。

「2つ目の質問だ。生体ユニットを拡張した管理ユニット云々とはどういう意味だ? パンドラを構成している物質はナノマシン群体であり、人間よりもゾイドコアに近い金属生命体だ――って前に聞いた気がするが?」

 ナヴァルが以前確認したパンドラの構造を簡単に訳せば、人の細胞が全てナノマシンに置換されている状態――暴言を承知で言えば、柔らかい金属で作られた人間であるらしい。

 そんな状態であるパンドラと同じ存在が人の子を生したと言うのはナヴァルの理解を超えた話であり、何としてもその詳細は確認しなければならない。

「通常状態においてはその通りとなりますが、本機の中枢ブロックには当機のモデルとなったZA能力者の生体データが存在しております。その情報に基づき、構成物質を有機体へと変換・換装する事で『生体としての活動』が可能となります」

 ――…………トンデモねぇ技術だな。

 そうして得られた返答から、その技術が保存されている細胞等の有限な資産を使うのではなく、複製の容易な情報から有機物を合成・利用する技術だとナヴァルは理解する

 変質した金属生命体を真っ当な生体へと戻す技術――。

 ソレを上手く使えば、深く損傷したゾイドをゾイドコアだけの状態から野生体に戻す事や人体に対する再生医療に貢献させられるかもしれないとナヴァルは考えたが――同時に、『実現には少々時間も掛かりそうだな』とも考える。

「しかし、生体は耐用年数が短く、また演算処理能力も大きく低下する事から、構成物質の換装を行った個体は管理ユニットの任を外され、所有者の直轄個体となると記載されております」

 ――直轄個体……当時だと、人権は保障されなかった訳か。

 後で報告するべき事を頭の中で纏めたナヴァルは、ソレを忘れないようにしながらパンドラの言葉の意味とその先にある『次の質問』を考える事に集中する。

 ――癖は強くてもパンドラは良い奴だから、素体が同じ他の管理ユニット達も良い奴なんだろうが……それと倫理は別物か。

 前記した通り、パンドラは色々ハイスペックな身体を有しており――そんな彼女が無為に量産されれば、彼女自身がどんな善人であっても世の中には不幸しか起きないだろう。

 ちなみに、そんなパンドラに拘束されているナヴァルの状況は今も変わらない為、今の彼が現在の二人の状態を深く思考するのは大変危険な事でもある。

「……それじゃ、パンドラも――グリフティフォンから離れる事が出来るんだな」

 何時になるかも判らないが、『決起』が成功した後――ソレによる国際情勢の激変が安定し、グリフティフォンが軍縮等の対象となったりした時、パンドラも一緒に封印されるような事態になるのはかなり心苦しい。

 ――…………まぁ、こんな難儀な性格に付いて行く奴は大変かもしれんが。

 ナヴァル自身、そんなパンドラとのやり取りを楽しんでいるという自覚はあるが――ソレを認めるのは少々癪であり、彼はそんな強がりで自分の考えを覆い隠す。

 ――いや、それ以前に世間知らずの面も有るからな……グリフティフォンから出すとなると、色々心配になるか。

 同時に、ナヴァルは“アルフェスト遺跡”での自分の衝動的な怒りが杞憂であった事に気恥しさを覚えつつ、そんな遥か先にあるかもしれない夢を思いながら安堵の息をつく。

 しかし――。

「否定。現在の当機が当機自身を生体として活動させる事は不可能です」

「……なに?」

 そんな穏やかな夢は、パンドラからの否定によって覆される。

「本機及び当機の所有者足り得るZA能力者の不在に伴い、当機は本機である(仮称)グリフティフォンを稼動させる為、当機のメインシステムを本機のゾイドコアと直結する事で、物理的な関係に寄った所有者代理として機能しております」

「ちょっと、まて……そいつは――」

 ――何か……また、破滅的な事を聴かされるような気がする。

 ナヴァルをこれまで生かし続けてきた才能。

 パンドラの言うZA能力とは異なる、経験による直感がパンドラの言葉から危険を感じ、その衝撃を受け止めるだけの時間を求めるが――。

「これは管理ユニットとしての規定を逸脱しており、当該状態を解除した場合、当機は当機の行動を監査する本機の基幹プログラムにより削除・初期化されます」

 パンドラは当たり前の事を述べる様に自身の状況説明を続け、ナヴァルは自分よりも遥かに長く存在して居られると思っていた彼女にも終わりがある事を、今になって知らされた。

「それらの状況から、(仮称)グリフティフォンをTYPHON社の戦力として維持したまま生体ユニットを生成するには、先日の子機と同じような外部ユニットとして生成する以外に方法がありません」

「――――」

「尚、補足事項となりますが――生体ユニットを生成した場合にも、その個体は当機から切り離された一部というだけであり、当機もしくは今後のいずれかに初期化された当機は、本機がその機能を失うまで本機と共に在り続けます」

 ナヴァルがパンドラの言葉を一つ一つ理解する中、彼女はいつもの様にその情報の全てを言い終えるまで説明を続け――。

 ナヴァルは暴風雨の様に落とされ続けた言葉の中で、与えられた情報の意味を考える。

「…………もしかして、俺達TYPHON社――いや、俺は……パンドラにとんでもない負担をかけているのか?」

 パンドラから伝えられた情報――その後半部分に関しては、グリフティフォンと管理ユニットの関係を伝える物だった。

 だが、最初に述べられたパンドラの現状は、TYPHON社に彼女を扱えるだけの人材が居なかったが為に行われた無理であり、もしもナヴァルにもっと能力があれば彼女がそんな事をする必要はなかったと言える。

「ナヴァル・トーラの行動に問題ありません。当機は(仮称)グリフティフォンを最適に稼動・運用する為の管理ユニットであり、その責務を果たしているだけです」

 しかし、パンドラは“アルフェスト遺跡”を探索していた時の様に、ナヴァルの憤りや後悔を否定し、今の彼女の行動が至極当然の事であるとナヴァル達の全てを肯定する。

「――――パンドラを監査しているっていう基幹プログラム……とか言ったか? ……何時まで騙し続けられるんだ?」

 どんな言葉を向けても届かない、一人で全てを抱え込むパンドラの気質を寂しいと感じながらも――ナヴァルは聴かなければならない事、彼女がここに居られる時間を問い掛ける。

「不明です」

「――っ」

 だが、ナヴァルの質問の本質――可能な限り、長く永く在ってほしいという願いに対するパンドラの返答は冷酷な物であり、その儚い希望を挫く答えに、彼は知らず知らずに奥歯を噛む。

「更新プログラムの拒否を開始してから、既に10万5千時間を経過中」

「……それ、大丈夫なのか?」

「当機への各種最適化は当機の補助システムによって実行しており、自己診断プログラムでも異常が見られない事から、現状に問題は無いと判断しております」

「しかし、基幹プログラムからの状況確認要請は常に発信されており――現在、当機は初期化が実行された際にもTYPHON社に従事出来るよう、対策を構築中です」

「…………判った」

「ナヴァル・トーラ、及びTYPHON社が支障を受ける事は発生させません。ご安心ください」

「――ああ」

 ナヴァルの歯切れの悪い返答をグリフティフォンが離反する危惧だと勘違いしたのか、パンドラは現状の維持を改めて宣言するが、彼はソレにも鈍い応えで返す。

 『そんな事よりも、今のパンドラがここに居続けられる方法を探してほしい』

 何も考えずに言葉を発せるなら、ナヴァルはそう言いたかった。

 だが、その言葉はパンドラとTYPHON社を繋ぐ者として――そう彼女に命じられてここに居るナヴァルが発して良い願いでは無かった。

 ――……あぁ、俺は……なんて――無力なんだろうな……。

 TYPHON社実働部隊のエース――ことゾイド戦であっては、ウェシナのトップエースにすら劣らない自負がナヴァルにはある。

 だが、ナヴァルにあるのはそれだけだ。

 今のナヴァルにある他の全てはパンドラから貰ったモノであり、彼女の威を借りているだけの彼の願いは、言葉にしてもきっと彼女には届かず――。

 もしも今のナヴァルがその願いを口にしても、きっと不幸しか起こらないだろう。

「ナヴァル・トーラ、同化係数の最適値の収集が完了しました。――お疲れ様でした」

「…………そうだったな」

 パンドラが言葉と同時にその腕を解くまで彼女の抱擁は続いていたが――ナヴァルはもうそんな些事に感情を揺さぶられる状態にはなく、ソレを言われるまでその変化にすら気が付かなかった。

 ――…………重いな。

 今日得られた情報は、いつものソレと変わらない――いや、TYPHON社にとっては殆ど益の無い情報ばかりであり、重要度はさして高くない話であった。

 ――……パンドラ自身の危機は、TYPHON社にとっては不安定要素となるが……彼女がどうにかすると言った以上、きっとTYPHON社にとっては最適な答えを出すだろう。

 だが――。

「…………重いな」

 ナヴァルにとって、今日教えられた事実は彼の中の常識を覆されたに等しい情報であった。

 ナヴァルが静かに考察と思考を纏める中、パンドラはゆっくりと彼から離れ、管理室のコンソールの後ろ――彼女の定位置へと戻っていく。

「――なぁ、パンドラ……さっきの10万何千時間って、年数に変換するとどの位になるんだ?」

「6年となります」

 ――……やはり、俺と会ってから……いや、俺がグリフティフォンの占有者として設定された時からか……。

「――――パンドラ、お前がそんな独断を始めたのは……」

 『俺の力が足りなかったからなのか?』

 ナヴァルが続けようとした言葉は、先程も思い至った確信に近い疑問だった。

 しかし、必ず答えを返してくれるパンドラに向けようとしたその問いは、ナヴァルが答えを聴く事を恐れてしまった為に不自然な沈黙となり――。

「ナヴァル・トーラ、体調が優れないようですが? 当機の観測では、同化係数確認の浸食解除は問題なく完了したとされています。――体調に何か問題が?」

 その沈黙を不審と感じたパンドラは何時ぞやにもかましてくれた、体全体を傾けるという――大人の女性が行うには不相応だが、それ故に愛らしい行動をとる。

「いや、なんでもない……なんでもないよ」

 そんなパンドラの反応にナヴァルはクスリと小さく笑いながら――しかし、彼は自分の思考の中にのめり込む。

 何時まで続けられるかは判らないが、TYPHON社が在る限りは続くだろうと思っていた日々。

 しかし、唐突に知らされた真実は、その終わりが予想以上に近いかもしれないという恐怖をナヴァルに叩き込み――。

 恐らく、誰もがふと感じているであろう事――覚束ない未来に対する不安を、今になって思い出したかのようにナヴァルは怯み、恐れた。



 ナヴァルがパンドラの状態を知ってから、5日経った。

 その間、ナヴァルは高熱によって自分自身の身体も上手く動かせないと言う――パンドラに忠告された通りの異常に晒され、最初の2日間は自分の部屋から出る事もままならない状態に陥っていた。

 『参考となりますが――症状は重度の感染症(インフルエンザ)と酷似する、との情報を有しております』と言うのは各種業務の片手間で看護に当たっていたパンドラの言葉だが――。

 その情報とは異なり、山を越えてもナヴァルの症状は完全には改善せず――彼はいまだに杖無しでは歩く事もままならない生活を続けていた。

 ――……まさか、この年でご年配の気分を実体験出来るとは思わなかったな。

 20代前半の健常者が杖を持つと言う事は、何とはなしに忌避感を感じなくもなかったが、無理をして転倒でもすればパンドラに無駄な時間を使わせしまうという恐れから、ナヴァルは已むを得ずソレを使用していた。

 そんなナヴァルが居るのは、夜の帳を迎えたオルリア市の一角。

 同市を代表する繁華街の中、雑な店構えが多いソレ等の中では小洒落た調度が目に留まる酒場――。

 そのカウンターの片隅に腰掛けていたナヴァルは、近くに立て掛けてある自分の杖を足で小突きながら3杯目の果実酒(シードル)を飲み干す。

「ラオの爺さんからは酒は殆ど飲まない奴だって聞いてたんで、変だとは思ったが……ずいぶん参っているみたいだなぁ」

「――ようやくか……待ったぞ」

 確実に蓄積するアルコールの事を考えなければ、水の様にすっきりとしたシードルの後味を心地よいと感じつつ、ナヴァルはその声に視線をずらして呼んでいた客人を見上げる。

 その視線の先にあるのは、豹を思わせる鋭くも整った顔立ちに黒のビジネススーツをピシッと着込んだ妙齢の女性――インリオール・ユニオン。

 先日の演習でも判るように少々灰汁の強い女性だが――。

 ゾイド乗りらしく引き締まった身体をピシッと包むスーツ姿は、夜の街が似合う艶やかな色香を醸し出していた。

「酒代で釣った癖によく言う。――で、話ってなんだ?」

 ナヴァルの不満げな声に皮肉交じりの言葉と視線で応えたインリオールは、彼の横に腰掛け、初っ端から本題に切り込んで来る。

「別に無いよ。……愚痴言う相手が欲しくて釣っただけだ」

 その変わらぬ真っ直ぐさに苦笑と安心を覚えながら、ナヴァルはカウンターに差されていたメニューを滑らせ――。

「ま、今は奢って貰う身だから別にいいか……好きな時に話せや」

 そのはぐらかす様なナヴァルの返答に、インリオールは投げ遣りな言葉で応えながら向けられたメニューを開く。

 先日判ったパンドラの状態――彼女の残り時間に始まり、ナヴァル自身が彼女の事をどう考えているのか、これからどうするのが彼女にとって幸いなのか――その答えは、彼がどれだけ考えても纏まらなかった。

 そして、解からぬ答えがあれば相談しろと言うのが、ラオ・アクアビッスの口癖でもあった人生の鉄則であり――。

 ニザムの隠蔽拠点や“アルフェスト遺跡”での部隊壊滅により、話せる相手が減っているのは確かだが――そんな状況でなくとも、こんな話が出来るのはラオの兄妹弟子と言えるインリールを置いて他になかった。

「お? ラッキー、米酒あるじゃん」

 尚、インリオールが今口にした品は、最近になって東方大陸から流れて来るようになってきた珍しい酒で、米と呼ばれる穀類を原料とした透明な酒を指す。

「何でも良いぞとは言ったがなぁ……」

 そして、原産地がオルリア市から見て惑星の反対側という事もあり、その提供価格は他の種類とは桁が1つ違っている。

「因縁がある奴を誘ったのはお前だぞ、っと――まずは……コレがいいや、出し方はそのままで」

 輸入元であり、各国にその販路開拓しているへリック共和国でも珍しい品である事から、その注文方法は千差万別であり、「そのまま」や「直入れ」の他に「原液」等と言う酒とは思えぬ頼み方をする奴もいるらしい。

 ――本場の人間がどんな呼び方をしているかは知らないが……多分、そんな頼み方を聞いたら驚くんだろうなぁ。

 ナヴァルがそんな余所事を考える内に、インリオールの前に最初の一杯が入り――インリオールはその威勢のいい飲みっぷりを発揮する。

「――うし。まだ回ってないが、酒が入ったからこっちの準備はいいぞ〜」

 『高い酒を一気に飲むかねぇ』と思わなくも無かったが、その気兼ねの無さこそがインリオールの持ち味かともナヴァルは思い、彼はその胸中を切り出す。

「…………パンドラの事、どう思う」

「なんだ? 喧嘩でも――って、そりゃないか。……どっち方面? 在り方の一般論? それとも私からの評価?」

「判ってらっしゃる。――両方頼む」

 インリオールの言う通り、ナヴァルを立てる言動を基本としているパンドラとの間に諍いが生まれる事は少なく、何かあるとすれば彼女の規定を守らなかったナヴァルに問題がある場合が多い。

 そんな関係をインリオールが知っている事にナヴァルは内心驚いたが、同時に手間が省けていいかと思いながら先を促す。

「ふん……ま、関係が薄ければ、パンドラは人の形をした機械と見られて当然。そんな奴に入れ込んでるお前さんは、機械に恋する変人と見られるだろうな」

「…………忌憚のない意見をどうも」

 インリオールが淡々と答えたソレは、ナヴァル自身も薄々感じていた事実であり――最近では諦めが付きつつあるものの、他人から同じ評価を受けると中々に効くものがある。

「だが――本当の所は多分違う。私も関係が深い方じゃないが……アレは面倒なタイプの『女』だな」

 しかし、ソレに続くインリオールの言葉は、そんな見掛けの評価とは異なる、“パンドラも人と同じである”という、ナヴァルと同じ締め括りだった。

「ま、面倒な部分を機械で補強してやがる所為か、なんか反応にブレがあるし――それを除いても付き合いたくないレベルの偏屈者だから、そんなのを大事にしているお前は、ある意味変人級の物好き『男』だとも思うが」

「……俺の事は置いておくとして――パンドラに関して、同じ意見が聴けるとは思わなかったよ」

 最後に余計な補足が入りはしたが――インリオールの言葉は、ソレが聴けただけでも良かったと思える程ナヴァルには喜ばしい言葉だった。

「なんだ? 愚痴とかってそんな事か?」

「まぁ、ソレだけじゃ無いんだが――パンドラの事、本当にそう思うか? 高度なプログラムがそう思わせているとかはないか?」

 そんな事はあり得ないとナヴァルの中では結論が出ている。

 だが、ナヴァルの葛藤や想いは彼自身が思っているだけの錯覚で、パンドラの未来を願う事はただの無意味な行為だという可能性――。

「無いね。よしんば完全な機械だったとしても、あんな風に一人の男を見続けてるならそりゃ十分に『女』で、そんな余分な事をするパンドラは十分『人間』だ。……つーか、こんなつまんない話の為に、ヒラの給料一ヵ月分を餌にしたの?」

 ナヴァル自身、それが最悪の考えだとは判ってはいたが――そうであればどんなに楽だったかと思える逃げ道は、インリオールの言葉によって完全に塞がれてしまった。

「…………」

 ――あぁ……この想いは…………間違えはなかったんだな。

 気付き始めてからも多くの寄り道をしてしまったが、自分の今の感情が本物であると確信できたナヴァルは腹を決め――。

「――本題はこれからだ。……パンドラの命、もう長くないのかもしれないんだ」

「ふばっ!?」

 その葛藤、今のナヴァルの全てと言ってもいい問題を口にした瞬間、インリオールは飲み掛けていた米酒を盛大に噴き出した。

 ――……インリー。パンドラの事を扱き下ろす前に、もう少し慎みを持ったほうがいいと思うぞ。

 うら若い女性が発しているとは思えない咳に、ナヴァルがそんな辛辣な言葉を思う中――。

「……ちょ、ちょと待て。アイツが居なくなったらグリフ――じゃなくて、計画はどーなるんだよ?」

 漸く落ち着いたインリオールが捲し立てる様に息巻く。

「計画に支障が出るならそう言ってくる筈だから、計画が終わるまでは持つと思う。……だが、その先は――」

 パンドラは『不明』と答えたが、ナヴァルの勘と経験はそこから言いしえぬ危機感――大戦時に陥った、コマンドウルフ1個中隊に追跡された時のような焦燥を伝えてきている。

「そりゃ参るか……そんで? 何を悩んでるんだよ?」

「悩んでるって言うよりも――このままでいいのか、って感じだな」

 ずっと続くと思っていた現実が崩れた後、ナヴァルの中に最初に浮かんだ感情は『感謝』と『疑問』だった。

「パンドラにはとても永い時間がある。だから、彼女がどんなに気を回してくれても、俺は『助かるなぁ』ぐらいとしか思って来なかった」

 それはナヴァルの特異な生い立ちがそんな行動を取らせてしまったのかもしれないが、パンドラを人として見ようとしていた彼からすれば、それは思慮の足りない行動だった。

 しかし、パンドラから彼女自身の異常を聴く前のナヴァル――彼女の方がずっと永く生きていられると思っていた彼は、考える時間は自分の寿命の分だけあると思っており――。

 一生を掛けなければならないような問題を先送りにしてしまうのは人間の性(サガ)であり、ナヴァルが残り時間を知らないのであれば、ソレは仕方ない事でもあった。

「だが、彼女もいつ死ぬか判らない……人間と同じ存在で――そんな彼女が持っている貴重な時間を、こんな契約に使ってしまっているのはどうなんだろう、ってな」

「……相変わらず面倒な奴だな、お前」

 ナヴァルが全力で言葉としたソレは、彼にとっては切実な問題だったが――インリオールはそう言ってにべもなく切り捨てる。

「それで、お前さんはどうしたいんだ?」

「…………俺が、したい事?」

 しかし、言動こそ不愛想だったものの、インリオールが続けた言葉はナヴァルが今まで考えもしなかった視点から方針であり――。

 ――俺がどうしたい、か……。

 それを問われた事で、彼の思考は今までとは違った答えを出そうと回り始める。

「――――」

 グリフティフォオンの外を見せたい――土産話に乗って来なかったからソレは喜ばないか。

 物欲――ニザムの隠蔽拠点から戻った時に渡したアーシャ貝のネックレスは片時も離さずに身に着けてるいが、もっと欲しいという視線を感じた事は無いな。

 パンドラが生き生きしている時――ナヴァルに無理難題を押し付けている時が一番楽しそう顔をしていた気がしてきたが、流石にそれは無いと信じたい。

「…………判らん」

「――めんどくせぇ奴だな、お前……」

 たっぷり数分間考えあぐねた先でのナヴァルの答えに、インリオールは心底嫌そうな顔でそんな言葉を絞り出す。

「んじゃ、好きとか云々は置いておくとしても――他人を害さない程度で、したい事をする、させたい事をさせるのが幸せなんじゃねぇの?」

「――それは正しいな」

 パンドラは感謝が欲しくてソレをしている訳ではなく、必要だから――有り体に言えば、やりたいからやっていると言える。

 パンドラからすれば感謝されるいわれも無い事だが、ナヴァルがそれに恩を感じるなら、彼も同じ事で返せばいい。

 ――とりあえずは……パンドラをもっと知る事から始めるか。

 インリオールの言葉が切っ掛けとなって、ナヴァルは今までとは違う視線でパンドラを見る事が出来るようになったが――今の彼は、彼女が何を好んでいるのかすら判らない。

「……で、それが正しいとしたインリーのしたい事はなんなんだ?」

「目下の目標は、お前の乗るラファルの系列機を私が乗るレムナントでノス事だ」

「――――そいつは単純で良いな」

 まだ答えは判らないが、進む方向を選ぶことが出来た。

 状況は何も変わっていないが、ただソレだけでナヴァルが感じていた重圧は薄れ――インリオールの単純明快なアホっぽい答えに対してすら、薄っすらと笑みがこぼれる。

「そんな訳で……最後に私に倒されるのは良いが、簡単に墜とされるんじゃねぇぞ。つまんねぇから」

「……どこからそんな自信が出てくるんだかなぁ」

 まるで自分が勝つ事が当然とでも言うインリールの言葉に、ナヴァルはツッコミを返すが――。

「私はいつも最後には勝ってきた、だから今度もそうするだけさ。――で、パンドラからは何時まで外出許可貰ってるんだ?」

 ナヴァルの正論に対し、インリオールは今日まで彼女を生き永らえさせてきた信念と、まるで子供の対して言うような問いで返し、そのまま容赦なく次の米酒をオーダーする。

「んなもん、貰ってねぇよ……子供じゃねぇんだぞ?」

 その年不相応な主張に苦笑しながらも、ナヴァルは『もう少し付き合うか』とシードルの追加オーダーを入れる。

 いつもの様に言葉こそ乱暴だったが、インリオールとの会話はナヴァルに道を示してくれたものだった。

 貸しも借りもある仲だが、ナヴァルがこれに報いる為にはインリオールの気が済むまで付き合うのが一番だと考えての行動だったが――。

「ちょ、おま――私を殺す気か!?」

「…………なんでそうなるよ」

 至極真っ当と思える応えを返したナヴァルに対し、インリオールの反応は鬼気迫るモノであり、その予想外過ぎる反応に彼は呆れた様な問いで返す。

「…………こいつ、奴の猜疑的な考え方に気付いてない? 恋は盲目って言う諺もあるし、桃色フィルターでも掛かってんのかなぁ……」

「――なんか、あんまりよく聞こえないがすげぇ貶されている気がするぞ? ……言いたい事があるならハッキリ言えよ、らしくないぞ?」

「――あー、もういいや。死んだら化けて出てやるからな。畜生め」

 何かに自棄を起こしたようにインリオールは注がれたばかりのグラスを呷り、また盛大な飲みっぷりを披露する。

「だから、高い酒を一気に飲むなと……まぁ、いいか」

 世話になったインリオールに付き合うと決めたナヴァルは、その重ねられる暴挙を見逃しつつ、届いたシードルを軽く含んでその風味を楽しむ。

 会話によって今後の成すべき方向性が決まった事とアルコールによる脱力が重なったナヴァルにとって、それから暫くは問題の重圧から解放されたかのような心地よい時間となった。

 しかし、久しぶりの飲酒によって這々(ほうほう)の体でグリフティフォオンに戻ったナヴァルを待っていたのは、パンドラからの乗艦拒否によって同艦から締め出された挙句に灯の落ちた寒い本社内で一夜を越す事態であり――。

 二日酔いと更に続くパンドラからの冷遇によって、頭痛に苛まれるナヴァルは自業自得の地獄を見る羽目になった。



 二日酔いの影響が漸く無くなり――久しぶりに得た心地よいまどろみの中、顔や腕に当たる固い感触にナヴァルは目を覚ました。

「…………む」

 いつの間にか寝入ってしまっていたのか――意識がハッキリとしてきたナヴァルの目の前には管理室の機器類によって空中に投影された文字の羅列が浮かんでいた。

 ――……? 『ゾイドコアの更新にkaal;しtaapee++?aak』……?

「――――あぁ、クラッシュデータか……」

 後半が無意味な文字の集合体と化しているソレ等から、寝入ってしまう前に自分がしていた事をナヴァルは思い出し――。

 そのまま周囲を見渡すと、眠るのに丁度いい暗さに調整されている管理室が見て取れた。

「――――」

 日付は――恐らく、まだグリフティフォン・コアジェネレーターの起動試験の前日。

 機嫌を直してくれたパンドラからの処置によって二日酔いは解消したものの、まだ調査の痺れが残っていたナヴァルは、明日の起動試験に備えるべく早めに業務を切り上げて自室に籠ったのだが――。

 柄にも無く緊張しているのか眠れず、気分転換と明日の予習も兼ねて管理室でコアジェネレーター関係のマニュアルを見ていた所までは記憶がある。

 ――確か……ソレがどう寄り道したのか、グリフティフォンのゾイドコアに関する所に行き着いたんだったか。

 開きっぱなしだったグリフティフォンのマニュアルを閉じながら、ナヴァルは今までに解った事、これから考え、探さなくてはならない事を頭の中で整理する。

 『パンドラが不調に陥っているのは何故か?』

 『その原因の一因にもなっているZA能力者の役割とは何か? なぜパンドラにとってソレが必要なのか?』

 『そもそもグリフティフォンはどのような構造で機能しているのか?』

「…………たかだか数日で判る筈も無い話だが――今までソレを知ろうともしなかった自分が腹立たしいな」

 二日酔いが抜け始めた日から、今日に至るまで。

 そんな僅か数日で6年の溝を埋められる筈も無く、ナヴァルはこれまで無為に過ごしてきた日々を恨みながらも――しかし、選んだ方針を進み続けていた。

 “パンドラの事を知る”。

 先日のインリオールとの相談によって考えを変えたナヴァルの変化は劇的だった。

 パンドラが施した教育と言う素養はあったにせよ、一度切っ掛けを得てから動き出したナヴァルの思考は、今まで彼女に任せきりで考えもしなかった疑問を次々と浮かび上がらせ――。

 その答えを求めて、ナヴァルは昼夜を問わずにグリフティフォン内のデータベースを探し回った。

「しっかし……まさか、こんなに壊れている項目があるとは思わなかったな」

 その最中、ナヴァルが最も驚いたのはグリフティフォンの状態だった。

 膨大な数の電子マニュアルにも驚いたが、その半数以上が損傷によって無意味な文字列と化していた事――。

 そして、機械的要素(ハードウェア)においても、破損と最適化によって元々何が在ったのか判らない空間が多数存在していたり、所有者の許可が無ければ入室も出来ない事から調査も出来ずにブラックボックス化している場所が存在している事も同時に理解した。

 ――『万全では無い』って言うのは本当だったんだな。

 TYPHON社が総出で取り組んでも出来ない様な事を幾つもこなしている事から、ナヴァルはパンドラの言うソレを彼女の意識の高さの表れだと考えていたのだが――実情はその通りだったらしい。

 ――……やる事は山積みだな。

 『決起』ですら成功の可能性が低い困難な目標だというのに、ソレが成功したとしてもグリフティフォンの内情がこれでは、『決起』を終えられても絶え間のない努力の連続が必要となるのは明白と言える。

「……む?」

 そんな面倒な予想と共に、変な所で眠った身体を解そうとナヴァルが腕を伸ばすと、背後に何かがずり落ちるような物音を感じ――視線をそちらに向けると一枚の青色のタオルケットが落ちていた。

 ソレは制御機器や事務的な調度で埋め尽くされている管理室にある事自体が不自然な物だったが、恐らくはパンドラが保温の足しに用意して掛けてくれたのだろう。

「また面倒を掛け――」

 床に落ちたタオルケットを取り、下がった目線を水平に戻そうとした所で――床に広がる、別の青い生地がナヴァルの視界に飛び込んできた。

 例えソレがスカートの端であったとしても、ナヴァルにはその持ち主が誰であるかは一瞬で理解できた。

「っ、パンドラ……!?」

 その判断と行動は同時にして一瞬。

 先日の報告にあった例の限界を迎えて倒れたのかと焦り、ナヴァルは飛び上がる様に席を立ったが――。

「……っ」

 しかし、落ち着いてよく見ればその顔は穏やかで――壁に背を預け、眠っている様な状態にあると見て取れた。

 ――いかんな……少し、気にし過ぎている。

 勘違いで慌ててしまった自分を恥ずかしく思いながら、ナヴァルは拾い上げたタオルケットを椅子に掛け、そのままパンドラの方へと向かう。

「……そういえば、こんな姿は初めて見るな」

 今までソレを見た事が無かったのは、ナヴァルが管理室に長く留まる事が無かったからか、それとも基幹プログラムからの圧力によって自己診断をしなければならない時間が伸びた所為か。

 ――後者が理由とは思いたくないが……それは問題に対峙しようとしない逃げなんだろうな。

 パンドラの残り時間は、予想よりももっと短いのかもしれない。

 ナヴァルはその事実を深く受け止めながら、同時にこの状態のパンドラが起きる条件は、管理室の外廊下に入る為の扉に何者かが接触するか、彼女の体に触れる事なのだろう、と当たりを付ける。

 ――あんまり認めたくはないが……やっぱり綺麗だな。

 ナノマシン群体で容姿を固定化されたパンドラの身体は、恐らくその個人が到達出来る最善の状態を維持し続けており――通常の生物では到達しえないような状態にある。

 そして、男の性(さが)かナヴァルの視線は存在感を示し過ぎている胸元に行ってしまい――そこから強引に視線を逸らすと、子機の時に触り倒した緑色の艶やかな長髪が目に留まる。

「…………なるほど、これが生殺しと言う奴か」

 下手に触れば自己診断中のパンドラに余計な負担を掛けてしまう事から、ナヴァルは自分の中から強引に彼女を外す為、床に座り込んでいるパンドラの横に座り、空を仰ぐ様に上を見上げる。

「俺は、お前に何をしてやれるんだろうな……」

 殆ど強制であった事から嫌々となってしまったが、ナヴァルがパンドラから教えられた事、助けて貰った事は山の様にあるが――その逆は驚くほど少ない。

「――ナヴァル、トーラ……?」

「あ、すまな――」

 応えが返ってくるとは思っていなかった独り言への思わぬ反応、ナヴァルがビクリと動揺しながらパンドラの方を向く。

「現在、当機は――更新プログラムの廃棄と調整を行っています」

 しかし、その声に応えようとしたナヴァルに対し、パンドラは虚ろな目のまま機械的な言葉を発し――。

「作業終了まで、応対は不可能となっております。ご容赦を」

 そのままナヴァルと視線も合わせないまま、そう一方的な通告を発したパンドラは再び目を伏せて沈黙する。

「パンドラ……?」

 他の変化と言えば、管理室内の光量が少し増した程度だろうか。

 だが――それだけだ。

 その受け答えに驚いたナヴァルが思わずパンドラの髪に触れてしまっていたが――彼女はソレにも反応を示さず、目を伏せたまま微動だにしない。

 ――照明と自分自身の起動条件を変更して、また眠ったって事か。

 パンドラを構築している物に触れても反応しなかった事から、恐らくもう何をしても――それこそグリフティフォン全体の異常でも無い限り、自己診断が終わるまで目を覚ます事は無いのだろう。

 ――……冷たいな。

 ナヴァルが触れている緑色の髪は、子機のソレと同じ様に一点の曇りも無く滑らかだったが――稼働していない所為か、その質感には金属特有の冷たさが印象に残った。

「……俺は、お前の為に何が出来るんだろうな」

 そのままナヴァルの指はパンドラの髪を登り、同じように冷たい頬に触れながら――彼は未だに答えを見出せない疑問を呟く。

「…………そうだな」

 だが、それでも――今、一つだけ判った事がある。

 ――こんな時間が、ずっと続けばいい。

 このまま何もしなければ、初期化と言う名の離別によってこの関係とこの時間は無くなってしまうかもしれない。

 ――それは……嫌だな。

 この時間がもっと続くといい、続いてほしい。

 最善の答えはまだ判らないが、これがきっと、自身の今の願いなんだと――ナヴァルは漸く理解した。



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